不要不急の外出を避けよとのことだ。眼鏡を新調することは、不要不急にあたるのかどうか。
「暇っすね」
陳列されている眼鏡を拭きながら、山際が言う。界隈の人通りが目に見えて少なくなっている。アルバイトの彼は、シフトを減らされると生活に響く。
「どうしたもんだろうね」
先輩社員らしく、具体案を提示できればいいのだが、残念ながら何も浮かばない。とにかく眼鏡を清潔に保つしかない。
「ネットニュースもウィルスのことばっかりですよね。ウィルス発生してなかったら何の話載せてたんでしょう」
「まあ、載せればそれがニュースだから、何かしら載ってたんだろうけど」
「あと、木村拓哉の記事多いっすよね。何なんすかねあれ」
山際が不思議そうに言う。僕が最近気にしているから目に付くのかと思っていたが、実際多いようだ。
山際はまだ24歳。彼の年代にとってキムタクってどういう存在なのだろう。僕らにとっての誰だ?
郷ひろみ?松田優作?それとも忌野清志郎?
誰を思い起こしても、どれもしっくりこなかった。木村拓哉は木村拓哉だった。案外僕が思うキムタクと、山際が思うキムタクは、遠くなかったりして。
午後になっても客足は一向に伸びなかった。
「先に昼、出ていいよ」と山際に休憩を促す。
山際はバックヤードに引き上げたかと思うと、すぐに黒いコーチジャケットを羽織って現れた。左手にスケートボードをぶら下げている。彼はこれに乗って通勤してくる。
店の前にスケボーを落とすと、軽やかに路上を流し始めた。コンビニにでも行くのだろう。まだ少年っぽさの残る華奢な体がだんだん小さくなっていく。僕は山際がスケボーに乗るのを見ると、いつも心が乱されるのだった。
僕らが若い頃にももちろんスケートボードはあった。当時の方が流行していた、と主張する40代もいるかも知れない。僕も割と熱心にやった。
でも、スケボーが根源的に孕(はら)んでいる危なげや、はかなさは、どうしても若者にこそ似合うのである。スケボーは、若さを乗せるための板なのだ。
僕はもうあれに乗れないのだろうな。服装や髪型ではごまかせない境界を思い、胸がほんの少し痛む。
客の不入りや、スケボーの哀愁。僕の心は落ち込む材料を求めていた。意図的に落ち込んだ。
そうすることで、島尾さんのことを薄めようとしていた。
島尾さんとはしばらく会っていなかった。
会おうと思えば会えただろう。その証拠に、島尾さんからは連絡がきた。
それは食事の誘いだったり、ドライブの誘いだったり、島尾さんは僕に会いたいようだった。
僕は態度を保留していた。そうしている間に、あろうことか元カノの真澄とは会った。
真澄はぴっちりとしたマスクを着けていた。
「花粉症よ。知ってるでしょ。今日はかなりキツい」
真澄は重めの花粉症だ。この時期は毎年大変そうだった。真澄いわく、チョコレートを食べると、より反応するらしかった。
「チョコだよ!チョコ食べられないんだよ!ひどい仕打ちよね!」と毎年憤慨していた。ならばホワイトデーにチョコレートは無用かと思い、贈らなかったらもっと怒った。チョコというやつは難しい。
旧山手通り沿い、テラス席のあるカフェだった。普段よりシンとしていた。中と外、どちらがいいかという話になり、「中にさせてよ。ガラガラなんだから」と真澄が押し切った。
「周平くんはいいよね。なーんかいつ見ても呑気で。マスクもしないで」
「俺だって色々あるんだよ」
「何、キムタク女と進展あった?」
「その呼び方はやめてほしいな」
「じゃあ何。女キムタク?」
「それじゃ意味が変わる」
「島尾さんでしょ?島尾さんとその後どうなの?」
「なんだ。覚えてたんだ」
真澄にどこまで話していいのか。話したくて呼び出したはずが、この期に及んで迷い始めた。
結局僕は、島尾さんの京都での出来事については語らなかった。語るべきではないと判断した。
真澄とは雑談に終始した。真澄は、なんで呼び出したのよ、という顔は一切しなかった。そういうのが真澄のいいところだった。
が、そんな気持ちはすでに吹き飛んでいる。あの日、真澄に打ち明けておけばよかった。そうすれば何らかの助言あるいは警告をもらえただろう。
3日前、島尾さんからラインではなく、電話があった。「会ってお話がしたいです」と言われた。切々とした声だった。僕は心を打たれた。いつまでも逃げていてはいけない。そう思った。
そして僕は今、島尾さんの実家に招かれていた。
島尾さんが、他とやや異なるペースで生きていることは、僕だってとっくに感じていたが、まだまだ甘かった。
これまで、交際相手の実家の敷居を跨いだことは、ない。胸を張れたもんじゃないだろうが、機会がなかった。しかし、実家に行くというのは、要するにそういうことだろう。問題は、僕と島尾さんは交際しているのか、という点だ。僕の認識では、男女交際の域には達していない。
島尾さんの実家は荻窪にあった。島尾さんが一人暮らしをしている阿佐ヶ谷から、わずか一駅の距離だ。
まず、阿佐ヶ谷が先だろうと、僕のような男は思う。もしかして僕の考えが不埒なのか?荻窪に参ってから阿佐ヶ谷、というのが筋なのか?それが筋だと言われれば、確かにそんな気もしてくるが、でも我々40を過ぎた大人だし。いや、大人だからこそ、なのか?
頭の中でグルグルやっていると、
「工藤さん。お話は伺っていますよ」
と、お父さんが大きな声で明るく言った。8割がた白くなった髪にはきちんと櫛が通っている。パリッとした白いシャツに濃紺のカーディガン。そしてスラックス。どこからどう見てもちゃんとした人物だった。
「はい。恐縮です」金髪の四十男としては、なんと返事して良いのやらわからない。だいたい島尾さんは僕の何を話したのだろうか。
「応接間」という呼び方がかつてあったが、そんな部屋だった。
島尾さんにそっくりのお母さんが紅茶を出してくれた。
棚には大量のトロフィーが所狭しと置かれ、壁面を額に入った賞状が覆い尽くしていた。スポーツ強豪校の校長室みたいだった。
どうやらどれも剣道のものらしかった。島尾さんはふたりの兄がいると言っていた。彼らが獲得したのだろうか。
「子供たちの剣道です。結構頑張ってくれました」
僕の視線に気づいたのか、お父さんが言った。
「すごいですね。お兄さんたち、相当お強いんですね」
「いや、いちばん強かったのはこの子ですよ」
お父さんは目を細めて、傍の島尾さんを見た。島尾さんは恥ずかしそうに微笑んだが、否定しなかった。どういうわけか、島尾さんが僕の脳天に竹刀を振り下ろすイメージがよぎった。怖かった。
「工藤さんは、何かスポーツは?」
文系サブカル男には辛い質問だ。公園で夜な夜なスケボーを、と言える雰囲気ではない。
「ええ、昔、野球を少し」
小学校の少年野球チームの話を引っ張り出した。わずか3年間しかやっていない。幸いお父さんは野球の話題を膨らませることなく、お兄さん達が今日同席できなかったことを詫びた。
「男の子というやつは、家を出たらとんと寄り付かなくなるもので、困ったもんです」
「いえいえ、お忙しいでしょうから」
この上ふたりも屈強な男が並んでいたかと思うと、気が遠くなる。いなくて助かった。
「工藤さん、それで…」
お父さんは体を背もたれから離し、僕の方に乗り出した。
「この子とは、どういう気持ちでお付き合いをされるおつもりですか?」
今度は、お父さんの両腕に、あるはずのない刀が見えた。
背中を汗がつたうのがわかった。
文/大澤慎吾