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COLUMN

2020.02.17

3年付き合った。しかし、結婚という言葉がちらついたことは1度たりともなかった。(第3話)

釣りの次はサーフィンだろうか。客足が一旦退いたので、そんなことを考えながら、眼鏡の陳列棚にハンディモップをかける。

九十九里浜あたりをサーフボードを抱えて歩く自分。板に寝っ転がって沖に向かう自分。おっかなびっくり立ち上がる自分。いろいろな自分を想像してみるが、ダメだ。できると思えない。海水浴でさえ、20年ほどご無沙汰なのだ。

「周平くん!」

と、後ろから大声で呼ばれて、肩が震えた。振り返ると真澄が立っていた。聞いていた時間よりずいぶん早い。

「今もまだ金髪なんだ」

顔を見るなり真澄は言った。前に会ったのは1年ほど前か。

「一回やると、やめどきが見つからないんだよ」

別にやめようとも思っていないのに、言い訳をする。真澄は、なおも無遠慮に僕の顔を眺め回した。

「まあ、色白だから似合ってるとは思うけどさ。でも日焼けはしないように気をつけなよ。その歳の金髪男がもし色黒だったら、大金持ちじゃないと説明つかないから。間違えて変な女が寄ってくるよ。で、なーんだ金持ちじゃないじゃーん、って」

相変わらず言いたい放題だ。そしてサーフィンは禁止らしい。

黙っていると、すぐまた何か言われそうなので、

「はい、これ。いくつか選んでおいたから」

と、話題を変えた。

「ありがとう!助かるわー。この後まだ5ヶ所も回らなきゃいけないのよ」

真澄は胸の前で手を合わせて見せた。

真澄はフリーのスタイリストだ。雑誌の撮影で使う眼鏡を、うちから貸し出すことになっていた。

メタルフレーム、意外性のある色、多角形…。あらかじめ伝えられていたイメージに沿うものを、20点ほどピックアップしておいた。

真澄が眼鏡を一点一点手に取る。真剣な目つき。僕のセンスも試されているようで少し緊張する。

丁寧に検分しつつも、迷いなくジャッジを下していく。

「よし、じゃあこの6点、お借りします!」

真澄が選び終えたのを受けて、僕は貸出書類に品番を打ち込んだ。

「今度さ、飲みに行こうよ」との声が聞こえて、パソコンから視線を上げると、真澄が極太フレームのサングラスを試着していた。70年代のファンク歌手がつけていたような、アクの強いアイテムだ。

「似合うね、そういうの。まあ僕はだいたい暇だから、いつでも行けるよ」

と、具体性に欠ける返答をした。

真澄は不満げな様子もなく「じゃあ、連絡するね!」と明るく言って、次のアポイント先に向かった。真っ青のコートをなびかせて去る早足の後ろ姿が、いかにもスタイリストらしく、少し眩しかった。

真澄が師匠の元から独立したのは、2年8ヶ月前だ。

なぜそんなに細かく覚えているかというと、独立祝いの食事を最後に、僕と真澄は別れたからだ。

真澄とは3年付き合った。

3年というのは、僕としては長い方だ。一回り近い年齢差もさして問題なかった。しかし、結婚という言葉がちらついたことは1度たりともなかった。

3年の間に真澄は、僕の知る限りでも4人の男性に恋をした。

僕はいつも真澄の恋愛相談に乗った。ニヤニヤ笑いながら相談に乗った。人はそういうとき、ニヤニヤ笑うのだと知った。そして、表情とは裏腹に、できるだけ的確なアドバイスを送るよう努めた。真摯になることが、僕なりの復讐だったのだ。それでもお前は僕のところに帰ってくる。

相談に乗った夜にはなぜか、僕の性欲はどうしようもなく高まった。真澄がどういう気持ちだったかはわからない。でも、いつもそれに応じてくれた。

僕は確かに真澄が好きだったが、もしかすると「奔放な女を好きな男」を演じる自分が好きだったのかもしれない。

僕は僕なりにバランスを取ろうと足掻(あが)いていた。そして足掻き疲れていることに気づいたとき、僕たちは終わった。僕は泣いたが、真澄は泣かなかった。真澄はその後も平気で僕を呼び出した。

昔ふたりでよく来た人気の居酒屋は、この日も賑わっていた。大男の店主はかなり偏った音楽趣味の持ち主で、BGMは日本の古いパンクロックしか流さなかった。ルースターズやスタークラブなんかが、毎晩爆音で鳴っている(ブルーハーツは「まだ新しいからダメ」らしい)。

その音圧に負けじと、真澄の声も自然と大きくなる。

「で、朝から釣りして、それだけで帰って来ちゃったの?なにそれ。夏休みの小学生じゃん。小5じゃん。小5男子。いちばんバカなやつ」

「色々あるんだよ」

いつも真澄の恋愛相談に乗っていたのに、今日は自分の事情を喋らされている。なんか恥ずかしい。

真澄は島尾さんのことを知りたがった。僕は、彼女の年齢を明かすのを躊躇している自分に気づいた。

30歳になったばかりの真澄にとって、42歳という島尾さんの年齢はどう見えるのだろうと、つい考えてしまった。

でも、顔は真澄よりうんと綺麗だぞ、と心の中でバランスを取った。真澄は愛嬌のある顔立ちだが、決して美人ではない。

いずれにせよ失礼なことを、僕は思っていた。

「歳は僕と一緒だよ」極力さらりと言った。

真澄は「ふうん」と言うだけだった。

子供服店の店長をしている、京都の大学に通っていた、3人兄妹の末っ子、それだけ話したら、後がもう続かなかった。僕は島尾さんのことを全然知らないのだと、少し悲しくなった。

それでつい言ってしまった。

「キムタクのことを『木村くん』って呼ぶ」

「あ、ダメだわ」

真澄は即座に言った。驚くべき速さだった。

「なんでだよ」

「だって周平くんの名字、工藤だもん」

「工藤、ダメかなあ?」

「ダメでしょ、工藤は」

「偏見がひどくないか?」

「キムタクファンの肩を持つのね」

「いや、だからキムタクファンが『工藤』に対してどういうスタンスかわからないのに、偏見で物を言わないほうがいいよってこと」

「偏見で物を言わなかったら、私なんて喋ることなくなっちゃうよ」

真澄はグラスに残っていた酒をぐいっと飲み干して、お代わりを頼んだ。

確かに真澄の偏見に満ちた語り口には、良くも悪くもドキッとさせられる瞬間が多々あった。

店主は、真澄のレモンサワーをカウンターに置くついでに、

「ふたり、戻ったの?」と親指と人差し指をくっつけながら、僕らに尋ねた。

「戻ってないよー」「戻ってない戻ってない」真澄と僕は同時に声を上げた。

「あ、そうなの。残念だなあ」と目の奥で笑いながら、店主は言った。

「だって今この人、キムタクファンの女に惚れてんだよ」

真澄が一段と大きな声を出す。

「え! ?工藤ちゃん、どうしたの?なにがあった?」

店主も大げさに目を見開いた。

「いや、別にそこを掘り下げなくていいって」

まったくこいつらは、と内心毒づきながら、僕は島尾さんの澄んだ目を恋しく思った。会いたいなあと、深く思った。

そして島尾さんを思い出すたびに、キムタクがセットでついてくる現状を憂えた。

「そういえばさあ、真澄ってキムタクに会ったことある?」

ふと気になって尋ねてみた。

「あると言えばあるよ」

「あるんだ。すごいね。仕事で?」

「ううん。三軒茶屋の古着屋で買い物してたら、声かけられたの。『そのスカジャンいいね』って。で、振り返ったらキムタクよ」

「スカジャンって真澄が着てたやつ?商品じゃなくて?」

「そう私が着てたやつ。『それ売って欲しいくらいだな』とかブツブツ言ってた」

「へえ、どうだったキムタク?」

「見知らぬ女の子のスカジャンを褒めるって、日本の男は普通できないよね。その点はかっこいいんじゃない?あとは、なんかね、すっごくいい匂いがした。それだけはよく覚えてる」

僕は自分が変な匂いを発していないか、急に心配になった。

居酒屋を出て、ふらつく真澄をなんとかタクシーに押し込んだ。

後部座席の窓が開いて、左手が伸びた。そして大きく振られた。

「じゃあねえ。キムタクに負けんなよー」という大声が夜空に吸い込まれた。

なんだよ、キムタクに負けんなよ、って。人から言われるとメチャクチャに恥ずかしいものだな。

結構飲んだ。さすがに足腰にくるほどではないが、街灯やテールランプが滲んで見える。少し酔ったようだ。島尾さんに連絡したい気持ちが湧いてきた。

酔いに任せてこうした行動に出るとろくな結果を生まないことは、歴史が証明している。わかってる、俺だって大人だ。でも、大人って、大した人って書くわりに、全然大したことない。

僕はポケットからスマホを取り出した。

 

文/大澤慎吾