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COLUMN

2020.02.24

迫られると逃げたくなる僕の悪い癖が顔を出しそうになるのを、なんとか抑えた。今回誘ったのは俺だ(第4話)

<まさかキムタクと戦えというのか>迫られると逃げたくなる僕の悪い癖が顔を出しそうになるのを、なんとか抑えた。今回誘ったのは俺だ(第4話)

呼び出し音が聞こえるまでの、1秒ほどの空白の時間に、胸の内がぞぞめく。「引き返すなら今だ」という気持ちと「やれ、いってしまえ」という気持ち。酔いを味方につけた後者が勝った。

島尾さんはすぐ電話に出た。わずかワンコールの出来事だった。

最近の若い人は、とにかく電話が苦手だという話を聞く。それに比べて僕たちと来たら。

「もしもし」

島尾さんは、あたかもこの電話を予期していたかのような、落ち着いた声だった。釣りからの帰り、車内で島尾さんが漏らした「私たち、急いだ方がいいと思うんです」という一言が蘇る。それが僕にいらぬ勇気を与えてしまった。

「島尾さん、こんばんは。ご機嫌いかがですか?」と、なんの用事もないことを、衒(てら)いなく明かした。

「いい1日でしたよ。工藤さんはどうでしたか?」

元カノと飲んでました、とは言いにくい。「なんだかもう春みたいですね。外、気持ちいいですよ」と地球の話をした。実際、思いがけずやわらかな空気が首元を撫でた。

「お酒飲んでたんですか?」

咎めるような口調ではなかったが、僕はちょっとだけ我に帰った。

「約20年、お酒は毎日欠かしません」とはぐらかした。

「ふふっ」と島尾さんは一応笑ってくれた。

さて、どうしたものか。僕は明日休みだ。思い切って飲みに誘うか?いくらなんでも遅いか。時計を見ると、1時近い。改めて考えるまでもなく、僕は非常識な時間に電話をかけている。

「今どちらなんですか?」

と、島尾さんが僕に聞いた。

「えっと今は中目黒です」

「エグザイル」

「はい?」

「中目黒といえばエグザイルですよね」

確かに数年前にエグザイルがでっかいビルを建ててから、中目黒がじわじわとエグザイルの街になりつつある。住んでいる人は複雑な気持ちだろうなあ、と勝手に思っている。

「好きなんですか?エグザイル」

「いえ、全然」

「よかった」

「よかったですか?」

「いやまあ、なんとなく」キムタクもエグザイルも好きなんじゃ、ちょっとついていけない。

「30分待っててください。私、行きますから」

島尾さんが、唐突に、しかしきっぱりと言った。

「え、ほんとですか?」

僕は、不意を突かれて、思わず高い声を出した。着いたら連絡します、と言われて電話が切れてからも、しばらく呆然としていた。

迫られると逃げたくなる僕の悪い癖が顔を出しそうになるのを、なんとか抑えた。総合的に見て、今回誘ったのは俺だ、と自分に言い聞かせた。

酔いがすっかりさめた気がした。

本当に30分きっかりで、島尾さんは現れた。

ついさっき真澄のタクシーを見送ったと思ったら、今度は島尾さんのタクシーを出迎える。まるで名うての遊び人のようだった。

島尾さんは、アメリカの古着みたいに大きなフリースジャケットに、特にトレンド感のないデニムパンツ姿だった。明らかに気の抜けた格好だが、美人のこういうのに男は弱い。

「大丈夫ですか。こんな時間に」と一応弁解めいたことを言うが、

「大丈夫ですよ。どんな時間でも」と、にこやかに返された。あまりに好意的な言葉に、先ほどまでの逃げ腰はどこへやら、天にも昇る気持ちになった。

まずはどこかに入ろうと、程よい店を探すが、僕の知っている店はどこも満席か閉まった後だった。仕方なく知らないドアを開けると、ガタイのいい若者が上半身裸で踊っていたので、すぐ閉めた。今はこういうんじゃない。

途方に暮れかけていると、島尾さんが口を開いた。

「工藤さん、カラオケお好きですか?」

「カラオケは…好きです」

一瞬言い淀んだ。かっこいい男はカラオケを嫌うイメージがある。でも残念なことに、僕はカラオケがまあまあ好きだ。

「島尾さん、歌うんですか」少し意外だった。

「はい。人並みに」

カラオケという俗っぽい提案にいささかの迷いはあったものの、いつまでも外を歩いているわけにもいかない。それに、僕と島尾さんは同い年。カラオケの大敵である世代間ギャップもないはずだ。

僕は昔行ったことのあるビッグエコーの方角に見当をつけて、歩き始めた。

 

少し見ないうちに、店がエグザイル仕様になっていて驚いた。外観は巨大な写真パネルで覆われ、パッと見、カラオケ屋か何かわからない。ファンらしい若い子らが写真を撮っていく。受付では「すみませんが只今、コラボルームの方が満室になってまして、通常のお部屋でもよろしければ…」と言われたので、食い気味に「通常でいいです」と返事をした。通常でいいよ。なんだよコラボルームって。僕はファン心理というやつがよくわからない。と思ってからハッとした。

島尾さんとカラオケ。いよいよ木村拓哉が牙をむくかもしれない。僕に対処できるのか、どうにも自信がない。

通された部屋は広く、詰めれば10人ほども入れそうだった。大きなコの字型のソファーに、並んで座るのも変なので、ひとまず向かい合った。対戦といった趣だ。

午前3時近く、2時間制(延長可)の戦いが始まった。僕はまず、山下達郎の「高気圧ガール」で高音の伸びを確かめた。もはやルーティンとも言える、僕のいつものやり方だ。島尾さんの前で緊張したのか、普段より声が裏返ってしまった。

対する島尾さんがぶつけてきたのは、なんと竹内まりやの「駅」だった。選曲の妙もさることながら、歌がうまいことに驚いた。音程が外れないのは当然として、強弱、上下も自在で、ほとんど圧倒された。色々想像を上回る人だ。

その後、安全地帯「悲しみにさよなら」、杏里「悲しみがとまらない」と対決が続いた。

説明しておくべきだろうか。僕たちがここまで歌っている曲は、どれもこれも古い。ほとんどが未就学の頃の曲だ。これは僕たちが偏屈なのではなくて(僕は多少偏屈だが)、カラオケってそういうところがあるのだと思う。

最新ヒットナンバーを堂々と歌える人もいるかもしれないが、それはどこか恥ずかしい。はたまた、青春ど真ん中だった時代の、心のヒットアルバムをさらけ出すのも、それはそれで勇気がいる。裸を見せるようなものだ。

結果的に、追体験で知ったような名曲集でお茶を濁しているわけである。そのあたりの機微も相通ずるようで、僕はますます島尾さんに心惹かれた。

「なんか、楽しいですね」

島尾さんは僕に笑顔を向けた。フリースジャケットを脱ぐと、これも古着のような白いスウェットシャツで、どこかの大学名がプリントしてある。遠い昔、こういうのを着た女の子を好きだった気がする。確かに、なんか楽しい。極寒の海釣りが、遠い日のことに思えた。

気分がほぐれるにつれ、お互い少しずつ手の内を見せ合った。米米CLUB「浪漫飛行」、プリンセスプリンセス「ジュリアン」、これらは自分のお小遣いでCDを買った曲だ。

「恥ずかしー」「ほんと恥ずかしー」と言い合いながら歌った。

そして僕が、フリッパーズ・ギター「カメラ!カメラ!カメラ!」を、島尾さんがピチカート・ファイブ「東京は夜の七時」を歌ったところで、懐かしさが最高潮に達した。

「いやあ、最高ですね島尾さん」

「工藤さんも素敵ですよ」

最高に素敵な僕たちは、休憩なしで歌っていたので少し疲れてきた。一息ついて飲み物を追加で取った。

「島尾さん、まさか明日仕事じゃないですよね」冗談半分に聞いてみると、

「仕事ですよ」と島尾さんは、さらりと言った。

「えっ!?嘘でしょ」

「ほんとです」

「いいんですか。東京は…夜の、どころか朝の4時ですよ」

「大丈夫です。明日は遅番なんで」

いくら遅番と言ったって、この人は眠らないのか。

次にスタンバイしていた、すかんち「恋のマジックポーション」を思わず削除した。

「あっ、どうして消すんですか?聞きたかったな、ローリー」と島尾さんが残念がった。

どうもこうも、罪悪感がふくらんだ(そしてカラオケ後の勝手な展望がしぼんだ)からだ。

「じゃあ代わりにこれ歌ってくださいよ」

島尾さんがタッチパネルを操って、曲を送信した。何だろうと思って待っていると、山崎まさよし「セロリ」が始まった。

「セロリ」。歌ったことはないが、多分歌える。山崎まさよしは僕も好きだ。

でもイントロを聞く僕の頭に浮かぶのは、山崎まさよしの顔ではなく、椅子に浅く腰掛け、アコースティックギターを爪弾くキムタクの姿だった。

喉の奥が張り付きそうに乾き始めた。

 

文/大澤慎吾