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COLUMN

2020.02.03

<まさかキムタクと戦えというのか>なにしろキムタクはかっこいい。空は青い。雲は白い。木村拓哉はかっこいい。(第1話)

あなたにもし好きな女性ができて、その人が「木村拓哉」を深く愛していたとしたら、あなたはその問題にどう立ち向かうべきか。

なにしろキムタクはかっこいい。

空は青い。雲は白い。木村拓哉はかっこいい。

僕が彼女のどこを気に入ったか。それは顔である。顔が、美しかったのだ。それなりに長く生きてきて、まさかそんな観点から異性に惹かれるとは思わなかった。大丈夫か、俺、と少し思った。

とりわけ、目が深い湖のように澄んでいた。見ていると吸い込まれそうだった。彼女も40を過ぎているはずなのに、この目の澄みはどうなっているのか。僕は眼鏡屋に勤めている。職業柄、無数の目を見てきた。今さら誰かの目を見てハッとするなんて。

島尾さんとはホームパーティーで出会った。アパレル経営者の友人宅には10人以上の男女が集まっていた。

「いつものあれ作ってきてよ」と友人に頼まれていたので、僕は昼過ぎからコトコト仕上げた煮豚を、タッパーに入れて持参した。

肩ブロック肉を大量の長ネギ、醤油、紹興酒と共に煮るだけの、時間さえあれば誰でもできるメニューだが、人に出すとそこそこ評判がいい。

「すっごくおいしいです。どうやって作るんですか」とまっすぐにこちらを見つめて聞いてきたのが、島尾さんだった。

5秒もあれば教えられるほど簡単なレシピなのに、それを伝えるより早く、僕は島尾さんを好きになっていた。

友人夫婦にそれとなく探りを入れたところ、島尾さんは「見ての通り美人」で「すごくいい人」なのに「なぜか彼氏がいない」らしかった。

その日友人宅に集まった顔ぶれは、僕と島尾さんを除くと、既婚者ばかり。見えない力に背中を押されている気がしたくらいだから、僕はのんきなものだった。

そして、二人で会うところまではずいぶん順調だった。人気の焼き鳥屋のカウンターに並んで座った。

話すうち、同い年の島尾さんと僕は、大学時代をお互いに京都で過ごしていたことがわかった。同じ時期、同じ街にいたのだ。

共通点の発見は、距離を詰めたい男にとって、ひとつの追い風である。

出会ってまだ少し。どんな些細なことでも、何かしら手がかりになれば大歓迎だ。ローカルな話題は申し分ない。それだけでぐっと親密度が増した気がするものだ。

「あの頃、藤井大丸の1階はアローズとシップスが向かい合わせに入っていましたよね」

「そうそう、なぜかビームスだけは遥か遠くの北山通りにあって」

「北山通り!行ったなあ、バイクで。なんであんな辺鄙な場所にあったんでしょうね」

「あと、北山といえばトランスコンチネンツ」

「トラコン!」

1990年代の一地方の話題で、40過ぎの男女が盛り上がる。

「バイク、今も乗るんですか?」島尾さんが僕に聞いた。

「ああ、ここ10年はほとんど乗ってないですね」

一度事故ったのだ。それから怖い。

「京都にいた頃はどんなのに乗ってたんですか?」

「え、島尾さんって、バイク好きなんですか?」

共通の趣味発見か。

「私は乗らないんですけど、バイク乗る人ってかっこいいなあと思って」

おっと。また乗らないといけないか。

「当時はヤマハのTW200っていうのに乗ってましたね。って言われてもわからないですよね」

「ビューティフルライフ」島尾さんがポツリと言った。一瞬、なんの話かわからなくなった。

「木村くんが乗っていたやつ」島尾さんがそう続けたことで、僕の頭も追いついた。

「そうそう、それです!よく知ってますねえ!」

テンション高く応じた。僕の方が先に乗っていたことは、言いそびれた。

 

島尾さんの言った「木村くん」とは、木村拓哉のことだ。

「ビューティフルライフ」というドラマの中でキムタク扮する美容師が、ヤマハTW200に乗っていた。

正直なところ、この時点で僕は微かな違和感を覚えていたのだ。

20年前のドラマに出てきたバイクを正確に覚えていることにまず驚いた。

そして何より、キムタクのことを「木村くん」と呼んだこと。僕はそういう人を初めて見た。

島尾さんの心の中に、僕には立ち入れない小部屋があるように感じたのだった。

でも、共通の話題が見つかったことにして、その小部屋には目をつぶった。

自分で言うのもなんだが、僕の見た目はそう悪くない。僕が店頭で掛けていると、その眼鏡が売れるとさえ言われている。ではなぜこの年までひとりなのか。

文系サブカル派の僕には、話の合う女性がそこまで多くはない。見てきた映画、聞いてきた音楽、読んできた本は、一風変わったものが多く、そんな話題を共有できるケースは稀だ。

でも、運よく話が合えば合ったで、その場合「濃すぎる」女性が多く、僕が逃げ出してしまうこともしばしばだった。

その後も、ずるずる理想の女性を探していた。気づけば僕は42歳になっていた。

僕は、就職超氷河期という有難くない名前をつけられた世代だ。テレビ局や出版社などのマスコミ関係に、漠然とした憧れがあったが、狭き門は想像以上に狭かった。もっとも、あの手の業界は超氷河期であろうが、常夏の楽園期であろうが高倍率には変わりない。

卒業後は、洋服屋のアルバイトで食いつないだ。その後縁あって今の眼鏡屋に拾ってもらった。

 

2軒目を出た後、島尾さんと駅で別れた。

「また、連絡しますね」

「ぜひぜひー」

嘘でないと信じたい。

帰りの電車内で、今日の自己採点を行う。

・会話…まずまず盛り上がった。 

・距離感…急な接近を図らず、終始紳士的。

・店選び…やや庶民的だったが、無用の緊張がなく、よかったのではないか。

 全体的に採点が甘い。それは不安の裏返しだったのかもしれない。

 頭の奥で微かな声が反響している。それは少しずつ音量を増す。

「ビューティフルライフ」「木村くん」「ビューティフルライフ」「木村くん

 島尾さんの声だった。

 なんだよ、これ。酔ったのか。心の中で呆れ笑いを漏らした。

 でも、この時の僕は何もわかっていなかった。

数日後、島尾さんから誘われた。

内容は思いがけないものだった。

「よかったら釣りに行きませんか」

釣り?なんで?やったことないぞ。

僕の苦闘の日々が始まった。

 

文/大澤慎吾