だいたい、なんで島尾さんがキムタクファンだったらダメなのか。
僕は何を恐れているのか。
仮にキムタクファンだったとしても、そんな人は世の中に数万人?数十万人?もいるだろう。ビビってんじゃないよ。
セロリ。既に四半世紀前の曲らしい。時が経つのはあまりに早い。ビビってるうちに人生終わるよ。
カラオケ独特の、キンキンするイントロが鳴っている間に、僕は
「島尾さんってキムタクファンなんでしょ?」
と、マイクを通して聞いていた。とても軽い口調だった。自分の声だと思えなかった。
島尾さんの顔が、よく注意しなければ気づかない程度に、ほんのわずか揺らいだ。笑ったようにも見えたし、眉をひそめたようでもあった。そして、もう1本のマイクを手に取った。
「ファン、ですかって?」
島尾さんは一拍置いてから言った。
「私、そんな生易しいもんじゃありません。木村くんは私の体の一部です」
失礼ながら、僕は爆笑しそうになった。爆笑しても不思議ではなかった。だってキムタクが体の一部とか言っているのだから。でも、たまたま、僕は笑わない選択をした。その選択をしておいてよかったと、今となっては思う。
その後、島尾さんはごく普通の顔をしてセロリを聞いていた。
途中、やたらと早口で歌うパートがあり、全然ついていけず無茶苦茶になってしまった。笑ってほしかったが、島尾さんは表情を崩さない。
お互い、歌う曲が尽きた。
宣伝映像が始まり、「カラオケをお楽しみの皆さんこんにちは…」と若い歌手が呼びかけてくる。知らない歌手だ。
島尾さんはまたマイクを手に取った。
そして、
「私が中絶手術を受けた日、木村くんが結婚したんです」
と言った。
その日、どうやって家に帰ったのか、あまり覚えていない。気づけばベッドに横になっていた。二日酔いではなかったが、気力が湧かなかった。
喉が渇いたので、仕方なくよろよろと起きた。冷蔵庫を開けたが、バターとちくわしかなかった。水道水をコップに注いで飲んだ。
いくら飲んでも、渇きが癒えそうになかったので、またベッドに倒れこんだ。島尾さんのことを思った。
カラオケで浮かれていたのが、大昔のように思えた。
島尾さんが淡々と語る過去の前に、僕はなす術がなかった。
島尾さんは、自分が美人であることは幼い頃から自覚していた。小学校でも中学校でも高校でも、クラスが変わるたび、男の子が自分の噂をしていることに気づいていた。
しかし、それが長く続かないことも知っていた。
やがて「島尾って美人だけど、なんかちょっと変わってるよな」と、中心的存在の男子が言い出す。すると、ほかの連中も右にならえでそれに従う。
僕だって10代の頃に島尾さんに出会っていたら、そんな有象無象のひとりだったと思う。自分の力不足を、認めたくないばかりに。
島尾さんは、結局あまり異性にもてなかった。
でもそのことを、彼女はむしろ歓迎した。どうせ顔のつくりを褒められて終わるのだ。
そんな島尾さんが、顔のつくりを職業にしている「アイドル」という人種に興味を持ったのは、皮肉な必然であった。
当時のアイドルのなかでも、とりわけ美しい容貌を誇っていたのは、木村拓哉だ。島尾さんはある種のシンパシーを覚えた。
「もちろん、人には黙っていました。木村拓哉に同情するなんて、自分でも変だと思います」
90年代中盤から、怒涛の躍進を遂げるキムタクを見るうち、その同情はいつしか愛着に変わっていった。でもそれだけだった。いちファンに過ぎなかった。
京都で大学生活を送るうちに、島尾さんには何人かの恋人ができた。外見だけを取り沙汰されることが減ってきたのだ。ごく自然に島尾さんは恋愛を楽しんだ。
そして卒業が近づいた晩秋、島尾さんは体調の変化に気づく。
「おめでとうございます、ってお医者さんが言うんです。こういうとき、やっぱりおめでとうって言うんだなあと、他人事みたいに思ったのを覚えています」
今出川通り沿いの婦人科だったらしい。
今出川通りといえば、僕の通っていた大学にも近い。きっと前を何度もバイクで通っていたと思う。でも、その婦人科は一片たりとも僕の記憶になかった。
「病院を出て、そのまま御所まで歩いたんです。すごく天気のいい日でした。砂利を踏みしめて御所の中を一周しました。歩くたびに、足が砂利の中に沈んでいくようでした。このまま首まで沈むんじゃないか、と思いました。沈んでもいい、と思いました。一日おいて、彼に伝えました。彼は私の顔を両手で包んで『今回は堕ろそう。前向きな意味で』と言いました。その瞬間、私は感情を失いました。ゼロです。怒りも悲しみも何もなく、催眠術にかかったように無感情になったのです」
相変わらず、マイクを持ったままの島尾さんに、僕は何も言えずにいた。細い声が、マイクを通すことで、僕の耳にもはっきり届いた。島尾さんは手術の内容まで、僕に明かした。なんでこんなことを僕に聞かせるのだろう。
「麻酔から覚めた時、私が感じたのは、紛れもなく安堵でした。罪悪感が押し寄せるのかと思ったらそうではなく、私はただただほっとしていました。そのことに私は罪悪感を覚えました。安堵も罪悪感もどちらもなかったことにしようと、強く念じました。そうして病院を出るときでした。テレビにあのニュースが流れていたのです」
もう20年近く前になる。
まず、スポーツ新聞が工藤静香の妊娠をスクープしたのだった。そこから結婚発表まであっという間だったように思う。押し寄せる報道陣を前に、ひとりでキムタクが立っていた。
レポーターの誰かが聞いた。「お相手は静香さんですか?」
するとキムタクが低い声で言った。「他に誰がいるんですか」
そんな場面を僕でさえ覚えている。
「私が失った、いえ、葬ったものを、木村くんはこれから育もうとしている。そのとき私は、体の一部を、木村拓哉で埋めたのです」
その後も島尾さんは話をやめなかった。
「私は忘れないために、子供服屋で働いています。生きていればいま何歳なのか、私は常に覚えています」
「極度の不眠症です。ほとんど寝ません」
こんな正解のわからない話は、もう終わりにしてほしかった。
僕は島尾さんを抱きしめるべきだったのかもしれない。理由は不明だが、僕にここまで話してくれたのだから。
でも、体が全く動かなかった。情けなかった。
掛ける言葉さえも浮かばなかった。
でも、あまり背負いこまないで、とかカビの生えたような励ましの言葉になんの意味があるのか。
島尾さんのいない部屋で、ひとり反芻しているだけなのに、僕はとても疲弊していた。
文/大澤慎吾