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COLUMN

2020.03.02

とりわけ美しい容貌を誇っていたのは、木村拓哉だ。島尾さんはある種のシンパシーを覚えた。(第5話)

だいたい、なんで島尾さんがキムタクファンだったらダメなのか。

僕は何を恐れているのか。

仮にキムタクファンだったとしても、そんな人は世の中に数万人?数十万人?もいるだろう。ビビってんじゃないよ。

セロリ。既に四半世紀前の曲らしい。時が経つのはあまりに早い。ビビってるうちに人生終わるよ。

カラオケ独特の、キンキンするイントロが鳴っている間に、僕は

「島尾さんってキムタクファンなんでしょ?」

と、マイクを通して聞いていた。とても軽い口調だった。自分の声だと思えなかった。

島尾さんの顔が、よく注意しなければ気づかない程度に、ほんのわずか揺らいだ。笑ったようにも見えたし、眉をひそめたようでもあった。そして、もう1本のマイクを手に取った。

「ファン、ですかって?」

島尾さんは一拍置いてから言った。

「私、そんな生易しいもんじゃありません。木村くんは私の体の一部です」

失礼ながら、僕は爆笑しそうになった。爆笑しても不思議ではなかった。だってキムタクが体の一部とか言っているのだから。でも、たまたま、僕は笑わない選択をした。その選択をしておいてよかったと、今となっては思う。

その後、島尾さんはごく普通の顔をしてセロリを聞いていた。

途中、やたらと早口で歌うパートがあり、全然ついていけず無茶苦茶になってしまった。笑ってほしかったが、島尾さんは表情を崩さない。

お互い、歌う曲が尽きた。

宣伝映像が始まり、「カラオケをお楽しみの皆さんこんにちは…」と若い歌手が呼びかけてくる。知らない歌手だ。

島尾さんはまたマイクを手に取った。

そして、

「私が中絶手術を受けた日、木村くんが結婚したんです」

と言った。

その日、どうやって家に帰ったのか、あまり覚えていない。気づけばベッドに横になっていた。二日酔いではなかったが、気力が湧かなかった。

喉が渇いたので、仕方なくよろよろと起きた。冷蔵庫を開けたが、バターとちくわしかなかった。水道水をコップに注いで飲んだ。

いくら飲んでも、渇きが癒えそうになかったので、またベッドに倒れこんだ。島尾さんのことを思った。

カラオケで浮かれていたのが、大昔のように思えた。

島尾さんが淡々と語る過去の前に、僕はなす術がなかった。

 

島尾さんは、自分が美人であることは幼い頃から自覚していた。小学校でも中学校でも高校でも、クラスが変わるたび、男の子が自分の噂をしていることに気づいていた。

しかし、それが長く続かないことも知っていた。

やがて「島尾って美人だけど、なんかちょっと変わってるよな」と、中心的存在の男子が言い出す。すると、ほかの連中も右にならえでそれに従う。

僕だって10代の頃に島尾さんに出会っていたら、そんな有象無象のひとりだったと思う。自分の力不足を、認めたくないばかりに。

島尾さんは、結局あまり異性にもてなかった。

でもそのことを、彼女はむしろ歓迎した。どうせ顔のつくりを褒められて終わるのだ。

そんな島尾さんが、顔のつくりを職業にしている「アイドル」という人種に興味を持ったのは、皮肉な必然であった。

当時のアイドルのなかでも、とりわけ美しい容貌を誇っていたのは、木村拓哉だ。島尾さんはある種のシンパシーを覚えた。

「もちろん、人には黙っていました。木村拓哉に同情するなんて、自分でも変だと思います」

90年代中盤から、怒涛の躍進を遂げるキムタクを見るうち、その同情はいつしか愛着に変わっていった。でもそれだけだった。いちファンに過ぎなかった。

京都で大学生活を送るうちに、島尾さんには何人かの恋人ができた。外見だけを取り沙汰されることが減ってきたのだ。ごく自然に島尾さんは恋愛を楽しんだ。

そして卒業が近づいた晩秋、島尾さんは体調の変化に気づく。

「おめでとうございます、ってお医者さんが言うんです。こういうとき、やっぱりおめでとうって言うんだなあと、他人事みたいに思ったのを覚えています」

今出川通り沿いの婦人科だったらしい。

今出川通りといえば、僕の通っていた大学にも近い。きっと前を何度もバイクで通っていたと思う。でも、その婦人科は一片たりとも僕の記憶になかった。

「病院を出て、そのまま御所まで歩いたんです。すごく天気のいい日でした。砂利を踏みしめて御所の中を一周しました。歩くたびに、足が砂利の中に沈んでいくようでした。このまま首まで沈むんじゃないか、と思いました。沈んでもいい、と思いました。一日おいて、彼に伝えました。彼は私の顔を両手で包んで『今回は堕ろそう。前向きな意味で』と言いました。その瞬間、私は感情を失いました。ゼロです。怒りも悲しみも何もなく、催眠術にかかったように無感情になったのです」

相変わらず、マイクを持ったままの島尾さんに、僕は何も言えずにいた。細い声が、マイクを通すことで、僕の耳にもはっきり届いた。島尾さんは手術の内容まで、僕に明かした。なんでこんなことを僕に聞かせるのだろう。

「麻酔から覚めた時、私が感じたのは、紛れもなく安堵でした。罪悪感が押し寄せるのかと思ったらそうではなく、私はただただほっとしていました。そのことに私は罪悪感を覚えました。安堵も罪悪感もどちらもなかったことにしようと、強く念じました。そうして病院を出るときでした。テレビにあのニュースが流れていたのです」

もう20年近く前になる。

まず、スポーツ新聞が工藤静香の妊娠をスクープしたのだった。そこから結婚発表まであっという間だったように思う。押し寄せる報道陣を前に、ひとりでキムタクが立っていた。

レポーターの誰かが聞いた。「お相手は静香さんですか?」

するとキムタクが低い声で言った。「他に誰がいるんですか」

そんな場面を僕でさえ覚えている。

「私が失った、いえ、葬ったものを、木村くんはこれから育もうとしている。そのとき私は、体の一部を、木村拓哉で埋めたのです」

その後も島尾さんは話をやめなかった。

「私は忘れないために、子供服屋で働いています。生きていればいま何歳なのか、私は常に覚えています」

「極度の不眠症です。ほとんど寝ません」

こんな正解のわからない話は、もう終わりにしてほしかった。

僕は島尾さんを抱きしめるべきだったのかもしれない。理由は不明だが、僕にここまで話してくれたのだから。

でも、体が全く動かなかった。情けなかった。

掛ける言葉さえも浮かばなかった。

でも、あまり背負いこまないで、とかカビの生えたような励ましの言葉になんの意味があるのか。

島尾さんのいない部屋で、ひとり反芻しているだけなのに、僕はとても疲弊していた。

 

文/大澤慎吾