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COLUMN

2019.08.26

母に哀れみを感じた。しかし、母の顔色を気にして生きてきたわたしも母の同類だ。(第8話)

どうぞ。と差し出されたコーヒーカップ。ぎこちない会釈とともに飲んだ。

丁寧に淹れられた中身も、絶妙に窯変した器の風合いも、ろくに味わえずにいる。

高さ3メートルはあろうかというガラス窓が、コンテナ状の建物の東側を覆っている。庭にはヒマラヤスギが高々とそびえている。その周りに様々な種類の低木が茂り、なだらかに傾斜している。視線の先をくり抜いたように湖面がキラキラと輝くのが見える。

床と天井は木材が使われている。もし来訪者が、モダンな外観にやや気後れ気味だとしても、木の温もりがほぐしてくれそうだった。

間仕切りを自由に組み合わせることで、いかようにも間取りを変えることができるらしい。わたしが訪れたその日は、仕切りが完全に取り払われ、廊下のようなワンフロアだった。

本来なら素晴らしく居心地のいい空間なのだろう。

朝、東京を出て、琵琶湖を望むこのアトリエに着くまでの間、80歳の父が、今どんな女性と付き合っているのか想像した。

年齢は50代から60代。端正な顔つき。さっぱりとしたショートカットにシンプルなシャツ。父の作品をこよなく愛する人。

目の前に現れたこの人は、年代や外見は条件を満たしているが、いかんせん、性別が違った。どういう訳か、わたしは梯子を外されたような気分だった。

母より素敵な女性に現れて欲しかったのか。母が敗北する様をこの目で見たかったのか。

この人は、誰なのか?

 

「マツバといいます。京都の北白川で骨董屋をやっています。生まれは九州ですが、18で京都に出てきて、そのまま居着いてしまいました」

自己紹介の情報量としては十分だ。しかしわたしの疑問を解く助けにはならない。

「ここから店のある北白川までは車で40分ほどです。三千院で有名な大原を越える山道です。気持ちのいい道ですよ」

父の何なのだろう。マネージャー?パトロン?それとも恋人?

 

アトリエで父、茗荷谷道彦は絵筆を走らせていた。長い足を肩の幅に広げて立ち、両膝を少し曲げる。背中をやや丸め、イーゼルに立てかけた大きなカンバスに向かう。その姿はどこか運動選手のフォームを思わせた。レスリングで相手との間合いを測る時のような。

かっこいい、と素直に思う。父が癌の手術を受けたことなど、忘れそうになる。

マツバ氏は、そんな父を微笑みながら見つめている。

「できた」

と遠くで父の声がした。どうやら完成したようだ。

「でもすぐまた描くんですよ」

マツバ氏が小声で言う。

「今日はもう終わるよ。2つ描いたからね」

耳も衰え知らずらしい。

50号のカンバス。縦は1メートルを超えるサイズだ。それを午前中から2点も仕上げたという。個展が近いのだそうだ。すでに十分な数の新作ができあがっているが、手が止まることはない。

 

アトリエ棟から一段上がったところに住居棟がある。階段状の渡り廊下でつながっている。同じく、横長の美しい建築。ゲストルームには、バストイレはもちろん、簡易キッチンまで備えられていた。

「何日でも、ゆっくりしていってください」

マツバ氏はにこやかに言った。口ぶりからしてこの人が父と暮らしていることは明らかだ。

正直に言うと戸惑っている。

いくらか特殊な父娘関係であることは認めるが、父という人をここまで知らなかったのはショックだ。

 

よく眠れぬままに外が白みはじめた。東向きの窓から木漏れ日が届いた。日課のストレッチを20分かけて行い、呼吸を整える。それから外に出てみた。残暑の居座る東京と違い、空気がひんやりと冴えており、半袖では少し肌寒いほどだった。

建物を迂回し、庭に出た。地面を這うように紫色の小さな花が咲いている。バーベナだろうか。

実家にも庭があった。もちろんこことは比べようもないほど、こぢんまりしたものだ。時々母の庭仕事を手伝わされた。あれこれ注文が多く、うんざりしたが、植物を触るのは嫌いではなかった。指の怪我を防ぐための手袋を、母の目を盗んで外し、直接枝や葉に触れるのが楽しみだった。

それにしても個人の庭にこの大きなヒマラヤスギとは驚く。朝日を浴びて複雑な陰影を帯びる姿は、神々しくさえあった。

不意に物音がして、足を止めた。水が撒かれるような音だった。ヒマラヤスギの傍らに人影があった。マツバ氏だった。

大木の根元に、丸い石が置いてあった。直径30センチくらい。カーリングのストーンほどの大きさだ。とは言っても、人工的に形を整えたのではなく、あくまで自然に帯びた丸みのようだ。

マツバ氏は白いシャツにガーデニング用のエプロンを着け、長靴を履いていた。そしてブリキのバケツを左手に持ち、柄杓(ひしゃく)で木と石に水をかけていた。

時折大きく息を吐き、天を仰ぐ。やがて水がなくなったのか、バケツと柄杓を下に置いた。すると彼は、石に向かって手を合わせた。

見てはいけないような気がして踵を返そうとしたら、落ち葉を踏んだ足音が思いのほか響いてしまった。

マツバ氏がこちらを向いた。昨日一日見せていた柔和な表情ではないものの、特に険しい目付きではない。

「ああ、雪さん。おはようございます。よく眠れましたか」

すぐににこやかな顔を取り戻したマツバ氏が言った。

「おはようございます。快適なお部屋ですね」

「足りないものがあれば何なりとおっしゃってください」

まるでホテルだ。父の家を訪ねたのではなかったのか。

わたしの視線が丸い石に注がれていることに、マツバ氏はとうに気づいていた。

「毎朝の日課なのです。雪さんのお父さんは、ご承知の通り朝は苦手ですからね」

お酒が好きな父は、確かに朝はゆっくりだった。いまだにそうなのか。

「この石は、目印ですよ」

マツバ氏が言う。

「目印、ですか」

「はい。ここに、私の妻が眠っているのです」

妻?何を言い出すのか、この人は。

「かつて私と茗荷谷先生は妻を巡って争いました。そして私は負けました」

 

父は、ある頃からマツバ氏の奥さんと深い仲だったらしい。

マツバ氏の夫婦間の愛情は長いこと冷えていたが、だからと言って放ってはおけない。さりとて父に抗議したところで、今更奥さんの心は取り戻せない。

やがて、世界的アーティストと妻を取り合っているという事実が、マツバ氏の心に奇妙な連帯感をもたらした。

「無茶苦茶な話です。わかってもらえるとは思いません」

娘のわたしとしては聞くのが辛いが、マツバ氏の口調が淡々としているばかりに、途中で立ち去れない。

「そんな折、妻が亡くなりました。遺言のようなものをのこしていました。先生の庭に散骨してほしいと。すると先生は、あのヒマラヤスギの根元がいいじゃないかと」

それを聞いてわたしは思わず庭から逃げ出したくなった。

「法律上、墓地以外に遺骨を埋葬することはできません。しかし、粉状にした骨を撒くことは許されています。そんなことがあり、私は茗荷谷先生と共同で、いわば墓守をやっているわけです」

 

マツバ氏本人も言っている通りこの「無茶苦茶な話」を聞いて、まずわたしが感じたのは、母への哀れみだった。

麻布の小さな一軒家に籠城し、父を恨むことが生き甲斐の母。そうやって月日を送っている間、父はあまりにも違う世界を生きていた。

誰かから、骨になっても一緒にいたいと思われ、その夫すら父は受け入れているのだ。

母の出る幕は、もはやなかった。

しかし、その母の顔色を気にして生きてきたわたしも、紛れもなく母の同類だ。

 

「なあマツバ。今日あいつ何時に来るんだったっけ?」

「夜に。とのことです。まあ結構幅のある表現ですね」

「あいつらしいな」

夕食の準備を手際よく行うマツバ氏に父が問いかけている。誰か来るようだ。

アトリエの奥側はダイニングキッチンになっている。作業台のような大きな木のテーブルにわたしは父と並んでいた。

しばらくすると、暗くなった庭の木を、車のヘッドライトが照らすのが見えた。程なくして、クラクションがけたたましく鳴らされる。

「まったく乱暴だなあ」と苦笑しながらマツバ氏が門扉の解錠スイッチを押す。

来客はどういう人なのだろう。

玄関ドアが開いた。今日も間仕切りは入っていないので、空間全てが見渡せた。

「いや、遠いですよ、ここ。相変わらず」

大きい声の、極端に細長い男性が入ってきた。オーバーサイズの黒いTシャツに黒いスキニーパンツ、ブーツも黒い。髪は金色の七三分け、ギョロリとした目が印象的だ。引き締まった腕には沢山のタトゥー。文字や矢印、星や三角形など、悪戯書きみたいなものが彫られている。

「お前が泊まりたいって言ったんじゃないか」

父が笑って言い返した。

「マツバさんの作る飯、うまいっすから」

「飲み過ぎたらダメだよ。明日本番なんだから」

キッチンからマツバ氏が声をかける。

わたしに気づいた。どなた?という目で父を見やる。

「こいつ、大介。宇田川大介。ドラマー。この子、雪ちゃん。俺の娘」

父がわたしと男性をそれぞれ紹介する。

「どうも、大介です。センセイ、娘さん綺麗っすねえ。お酒飲めます?」

ここ20年、接したことのないタイプの男だった。今日という日はまだ終わらないらしい。

文/大澤慎吾 写真/塚田亮平