どうぞ。と差し出されたコーヒーカップ。ぎこちない会釈とともに飲んだ。
丁寧に淹れられた中身も、絶妙に窯変した器の風合いも、ろくに味わえずにいる。
高さ3メートルはあろうかというガラス窓が、コンテナ状の建物の東側を覆っている。庭にはヒマラヤスギが高々とそびえている。その周りに様々な種類の低木が茂り、なだらかに傾斜している。視線の先をくり抜いたように湖面がキラキラと輝くのが見える。
床と天井は木材が使われている。もし来訪者が、モダンな外観にやや気後れ気味だとしても、木の温もりがほぐしてくれそうだった。
間仕切りを自由に組み合わせることで、いかようにも間取りを変えることができるらしい。わたしが訪れたその日は、仕切りが完全に取り払われ、廊下のようなワンフロアだった。
本来なら素晴らしく居心地のいい空間なのだろう。
朝、東京を出て、琵琶湖を望むこのアトリエに着くまでの間、80歳の父が、今どんな女性と付き合っているのか想像した。
年齢は50代から60代。端正な顔つき。さっぱりとしたショートカットにシンプルなシャツ。父の作品をこよなく愛する人。
目の前に現れたこの人は、年代や外見は条件を満たしているが、いかんせん、性別が違った。どういう訳か、わたしは梯子を外されたような気分だった。
母より素敵な女性に現れて欲しかったのか。母が敗北する様をこの目で見たかったのか。
この人は、誰なのか?
「マツバといいます。京都の北白川で骨董屋をやっています。生まれは九州ですが、18で京都に出てきて、そのまま居着いてしまいました」
自己紹介の情報量としては十分だ。しかしわたしの疑問を解く助けにはならない。
「ここから店のある北白川までは車で40分ほどです。三千院で有名な大原を越える山道です。気持ちのいい道ですよ」
父の何なのだろう。マネージャー?パトロン?それとも恋人?
アトリエで父、茗荷谷道彦は絵筆を走らせていた。長い足を肩の幅に広げて立ち、両膝を少し曲げる。背中をやや丸め、イーゼルに立てかけた大きなカンバスに向かう。その姿はどこか運動選手のフォームを思わせた。レスリングで相手との間合いを測る時のような。
かっこいい、と素直に思う。父が癌の手術を受けたことなど、忘れそうになる。
マツバ氏は、そんな父を微笑みながら見つめている。
「できた」
と遠くで父の声がした。どうやら完成したようだ。
「でもすぐまた描くんですよ」
マツバ氏が小声で言う。
「今日はもう終わるよ。2つ描いたからね」
耳も衰え知らずらしい。
50号のカンバス。縦は1メートルを超えるサイズだ。それを午前中から2点も仕上げたという。個展が近いのだそうだ。すでに十分な数の新作ができあがっているが、手が止まることはない。
アトリエ棟から一段上がったところに住居棟がある。階段状の渡り廊下でつながっている。同じく、横長の美しい建築。ゲストルームには、バストイレはもちろん、簡易キッチンまで備えられていた。
「何日でも、ゆっくりしていってください」
マツバ氏はにこやかに言った。口ぶりからしてこの人が父と暮らしていることは明らかだ。
正直に言うと戸惑っている。
いくらか特殊な父娘関係であることは認めるが、父という人をここまで知らなかったのはショックだ。
よく眠れぬままに外が白みはじめた。東向きの窓から木漏れ日が届いた。日課のストレッチを20分かけて行い、呼吸を整える。それから外に出てみた。残暑の居座る東京と違い、空気がひんやりと冴えており、半袖では少し肌寒いほどだった。
建物を迂回し、庭に出た。地面を這うように紫色の小さな花が咲いている。バーベナだろうか。
実家にも庭があった。もちろんこことは比べようもないほど、こぢんまりしたものだ。時々母の庭仕事を手伝わされた。あれこれ注文が多く、うんざりしたが、植物を触るのは嫌いではなかった。指の怪我を防ぐための手袋を、母の目を盗んで外し、直接枝や葉に触れるのが楽しみだった。
それにしても個人の庭にこの大きなヒマラヤスギとは驚く。朝日を浴びて複雑な陰影を帯びる姿は、神々しくさえあった。
不意に物音がして、足を止めた。水が撒かれるような音だった。ヒマラヤスギの傍らに人影があった。マツバ氏だった。
大木の根元に、丸い石が置いてあった。直径30センチくらい。カーリングのストーンほどの大きさだ。とは言っても、人工的に形を整えたのではなく、あくまで自然に帯びた丸みのようだ。
マツバ氏は白いシャツにガーデニング用のエプロンを着け、長靴を履いていた。そしてブリキのバケツを左手に持ち、柄杓(ひしゃく)で木と石に水をかけていた。
時折大きく息を吐き、天を仰ぐ。やがて水がなくなったのか、バケツと柄杓を下に置いた。すると彼は、石に向かって手を合わせた。
見てはいけないような気がして踵を返そうとしたら、落ち葉を踏んだ足音が思いのほか響いてしまった。
マツバ氏がこちらを向いた。昨日一日見せていた柔和な表情ではないものの、特に険しい目付きではない。
「ああ、雪さん。おはようございます。よく眠れましたか」
すぐににこやかな顔を取り戻したマツバ氏が言った。
「おはようございます。快適なお部屋ですね」
「足りないものがあれば何なりとおっしゃってください」
まるでホテルだ。父の家を訪ねたのではなかったのか。
わたしの視線が丸い石に注がれていることに、マツバ氏はとうに気づいていた。
「毎朝の日課なのです。雪さんのお父さんは、ご承知の通り朝は苦手ですからね」
お酒が好きな父は、確かに朝はゆっくりだった。いまだにそうなのか。
「この石は、目印ですよ」
マツバ氏が言う。
「目印、ですか」
「はい。ここに、私の妻が眠っているのです」
妻?何を言い出すのか、この人は。
「かつて私と茗荷谷先生は妻を巡って争いました。そして私は負けました」
父は、ある頃からマツバ氏の奥さんと深い仲だったらしい。
マツバ氏の夫婦間の愛情は長いこと冷えていたが、だからと言って放ってはおけない。さりとて父に抗議したところで、今更奥さんの心は取り戻せない。
やがて、世界的アーティストと妻を取り合っているという事実が、マツバ氏の心に奇妙な連帯感をもたらした。
「無茶苦茶な話です。わかってもらえるとは思いません」
娘のわたしとしては聞くのが辛いが、マツバ氏の口調が淡々としているばかりに、途中で立ち去れない。
「そんな折、妻が亡くなりました。遺言のようなものをのこしていました。先生の庭に散骨してほしいと。すると先生は、あのヒマラヤスギの根元がいいじゃないかと」
それを聞いてわたしは思わず庭から逃げ出したくなった。
「法律上、墓地以外に遺骨を埋葬することはできません。しかし、粉状にした骨を撒くことは許されています。そんなことがあり、私は茗荷谷先生と共同で、いわば墓守をやっているわけです」
マツバ氏本人も言っている通りこの「無茶苦茶な話」を聞いて、まずわたしが感じたのは、母への哀れみだった。
麻布の小さな一軒家に籠城し、父を恨むことが生き甲斐の母。そうやって月日を送っている間、父はあまりにも違う世界を生きていた。
誰かから、骨になっても一緒にいたいと思われ、その夫すら父は受け入れているのだ。
母の出る幕は、もはやなかった。
しかし、その母の顔色を気にして生きてきたわたしも、紛れもなく母の同類だ。
「なあマツバ。今日あいつ何時に来るんだったっけ?」
「夜に。とのことです。まあ結構幅のある表現ですね」
「あいつらしいな」
夕食の準備を手際よく行うマツバ氏に父が問いかけている。誰か来るようだ。
アトリエの奥側はダイニングキッチンになっている。作業台のような大きな木のテーブルにわたしは父と並んでいた。
しばらくすると、暗くなった庭の木を、車のヘッドライトが照らすのが見えた。程なくして、クラクションがけたたましく鳴らされる。
「まったく乱暴だなあ」と苦笑しながらマツバ氏が門扉の解錠スイッチを押す。
来客はどういう人なのだろう。
玄関ドアが開いた。今日も間仕切りは入っていないので、空間全てが見渡せた。
「いや、遠いですよ、ここ。相変わらず」
大きい声の、極端に細長い男性が入ってきた。オーバーサイズの黒いTシャツに黒いスキニーパンツ、ブーツも黒い。髪は金色の七三分け、ギョロリとした目が印象的だ。引き締まった腕には沢山のタトゥー。文字や矢印、星や三角形など、悪戯書きみたいなものが彫られている。
「お前が泊まりたいって言ったんじゃないか」
父が笑って言い返した。
「マツバさんの作る飯、うまいっすから」
「飲み過ぎたらダメだよ。明日本番なんだから」
キッチンからマツバ氏が声をかける。
わたしに気づいた。どなた?という目で父を見やる。
「こいつ、大介。宇田川大介。ドラマー。この子、雪ちゃん。俺の娘」
父がわたしと男性をそれぞれ紹介する。
「どうも、大介です。センセイ、娘さん綺麗っすねえ。お酒飲めます?」
ここ20年、接したことのないタイプの男だった。今日という日はまだ終わらないらしい。
文/大澤慎吾 写真/塚田亮平