実家の守り神みたいに、いつ行ってもだいたい居た妹が、この冬は不在がちになった。
誰も居ない実家に顔を出す理由もないので、妹と会う機会は減ったが、それはそれでいいことだと思っている。家の中より、外の方が面白い。
俺の占い稼業は、どうにも調子が出ないままだった。相手の悩みに自然と寄り添えたはずが、無理矢理やってるみたいな日が増えた。
でもまあ3年やったし、これは俺の人生サイクルに照らせば「潮時」というやつなのかとも思い始めた矢先、それが現れた。
世の中の誰も知らなかったそれは、瞬時に世界一有名なウィルスになった。
びっくりしている間もなく、あらゆることが変わってしまった。世の中というやつから切り離されて生きているような俺でさえ、無関係でいることは許されないのだった。
奥渋にあるキドちゃんのカフェの客足が、みるみるうちに途絶えた。やがてテイクアウト主体の営業になり、ついには無期限の休店に入った。ここのテーブル席を主な仕事場にしていた俺も、もろに影響を受けた。
テーブルが使える使えないの話ではない。大き過ぎる問題に直面したとき、人はもはや手近な運勢を占っている場合ではないらしい。
そう、世界は一変してしまったのだ。
俺がこれまでに対面した人々は、皆それぞれに深刻な悩みや不安を抱えていた。
しかしわずか1ヶ月あまりの間に、そんな腹の内をさらけ出すことがはばかられるほど、世界は巨大な不安を共有することになった。
人々がもともと持っていたはずの悩みが、消えたわけでもなかろうに。
水谷くんは、家に帰るとすぐ、裸になるのだった。
私が多摩川沿いのマンションに行くようになって、3週間ほどが過ぎた頃だった。部屋に入るなり水谷くんは、スルスルっと音もなく服を脱いだ。爬虫類ってこうやって脱皮するのかな、と思わせる身のこなしだった。白くきめの細かい肌があらわになった。肩と腕の筋肉が張っている。身体の起伏が、ライトに照らされて陰影をつくる。
あまりにも滑らかな動きに、私は違和感を覚える暇もなかった。
「あ、ごめん。つい、癖が出て…このほうがしっくりくるんだよね…」
と、水谷くんは言った。顔が少し赤い。
どうやら私の前では慎んでいたらしい。しかし、気温28度、湿度65%に保たれたこの部屋では、確かに洋服が枷(かせ)となる気がする。下着1枚になった水谷くんは、まるで彼が愛する爬虫類たちのようだった。静かに、そこにいた。
私は、自分も続いたほうがいいのか、考えた。なかなか難しい問題だった。考えている間に、水谷くんはクローゼットから黒いTシャツを取り出し、身につけた。安堵の感と、残念な気分が、半々に入り混じった。
そのころの私たちは、時間の許す限り、この甘く温かい湿度の中に沈んでいた。この部屋では、ほんの少し声帯を震わせるだけでよかった。お互いの口と耳が、すぐそばにあったのだ。
なぜこうも離れ難いのか。水谷くんの全てを知ったわけでもない。自分の全てを明かしたわけでもない。そもそも、自分が堕ちれば堕ちていく人間だったなんて、私は知らなかった。
同じ飼育箱に棲む2体のように、私と水谷くんは生きていた。樹上からいつも蛇が見ていた。遅刻だけはお互いにしなかった。
春のある日、会社に来なくていい、と言われた。
リモートワーク、という耳慣れない言葉が、うちのような老舗の食品商社にまで届いたのだ。
クビになったわけでもないのに、会社に来るなと言われようとは、数ヶ月前には予想だにしなかった。
もちろん、熱帯に生きる私と水谷くんの間でさえ、世界中を覆う不穏な影について、会話を交わさない日はなかった。
とりわけ、ドイツにいる母とオットーさんを案じた。いつだったか、兄の占いで「オットーさんが近々大病を得る」という不吉な結果が出たのだった。こんなのに限って当たったらどうしよう。
幸いなことに、母らの暮らすエリアでは、感染爆発と言えるほどの拡がりはなく「安心するように」との連絡を受けた。
それを聞いて、たわいもなく安心する私には、やはり抜かりがあったのだろう。
夢に出てきただけの人を好きになるような私だ。夢から覚めてもそこにいる水谷くんに、私の意識は絶えず注がれていた。
ベッド脇の小さなテーブルに、私たちは向かい合っていた。水谷くんは、上半身裸で生春巻きを食べている。帰りにベトナム料理店に立ち寄り、持ち帰ったのだった。普段は行列が絶えない人気店らしい。
ひとくち食べるごとに、顎から首、そして胸の筋肉までが、緻密に動く。食事というより、捕食と表すほうがふさわしく思えるその食べ方は、不思議に美しかった。
「基本的に家で仕事するようにって言われても、何をどうすればいいんだろ」
そう私がつぶやくと、水谷くんは皿を見つめたまま、
「しばらく会わないほうがいいかもしれないですね」
と言った。
私は水谷くんが何を言ったのか、一瞬わからなかった。
「僕は、家にいられる仕事ではないから」
彼はそう続けたが、私の頭はぼうっとしていた。
「それはそうだけど…」
「規子さんがここに来るには、電車とバスで乗り換えが4回もあるでしょう」
じゃあ、うちに来れば、と言おうとしたのに、うちには蛇がいない、と思って言葉を飲み込んでしまう。いや、違う。蛇はこの際いなくてもいいのだ。
「水谷くんはそれでいいの?」
「世界がそうしたほうがいいと言うのなら」
世界?そこに私たちのいるここは含まれてるの?私は悲しかった。
「水谷くんは、どうして蛇がいなくちゃいけないの?」
なぜか私の口からは、そんな問いがこぼれた。
不意の問いかけに、水谷くんは少し困った顔をしながらも、生春巻きの最後のひとくちを丁寧に食べた。
「昔、付き合っていた人がいたんだけど…」
聞きたくない話が始まりそうだったが、もう遅かった。彼の喉が動くのを私は見ていた。
水谷くんは18歳のとき、就職のため上京した。高校生の頃から付き合っていた同い年の彼女も、そのタイミングで東京の大学に進学した。
彼らは長い年月を共にしたが、肉体の接触を持たなかった。同年代の男女が競うように語るあれこれも、まるで耳に入らないかのようだった。
「僕は人間の体が好きじゃなかった。特に自分の体が。いまよりずっと痩せていた。みすぼらしいって言うか、アンバランスと言うか、長く見ていると腕も足も何もかも、とても醜いものに思えた。なんでこんな形なのだろう。これを誰かに触られると思うと、耐えられなかった…」
私は思わず自分の手を見た。水谷くんの体温や湿り気が、はっきりと残っている気がした。
「彼女もそれをわかってくれていると思ってたんだけど…。僕の勝手だった」
やがて彼女は、他の男性とも会うようになった。水谷くんのことも知る同級生だった。
「彼とは部活でも一緒だった。頼りになるやつだった。彼なりの優しさで、彼女と会ってたのだと思う」
社会人の水谷くんは忙しかった。彼女との時間が減っていった。でもお互い別れを切り出すことはなかった。
「僕の20歳の誕生日に、彼女は死んだ。夜中、自転車で僕のアパートを目指している途中、トラックと電柱に挟まれて…。その同級生の部屋からの帰りだったみたい。普段通らない狭い道だった。日付が変わる前にと思って急いだんじゃないかな。もっと前に、僕と別れていればよかったんだよ」
相槌など求めていないことは明らかだった。私は黙ったまま聞いていた。
「僕は自分の体を憎んだ。この体のせいで、彼女は死んだのかもしれない。僕は筋トレを始めた。筋肉はすぐにつき始めた。体が、目に見えて変わってきた。でも、そんな単純に変わる体が、ますます嫌になった。飼い始めたばかりの蛇が、僕を見ていた。僕は、蛇に殺されたいと思った。でもペットの蛇には毒もないし、おとなしいから、そんなのは無理だ。それでも目の前で指を揺らしていると、エサと間違えたのか、蛇が噛み付いてきた。痛かった。血がたくさん出た。でも耐えられない痛みではなかった。僕は、そのまましばらく噛ませることにした。そうしたら、なんて言うか、いままでに感じたことのない気持ちがした。生きてるんだ、と思えた。いや、正確には、生きてるんだから仕方ないじゃないか、と思えた。諦めて生きろ、と言われている気がした。蛇が僕に力のようなものをくれたって、素直に思えたんだ。それが僕と蛇との話」
こんなによく話す水谷くんは初めてだった。テーブルの上で、フォーがすっかり冷めていた。私は、不機嫌だった。私は、亡くなった彼女に嫉妬しているのだろうか。
「規子さん、僕と会うために死なないでほしい」
水谷くんは、私をまっすぐ見て、そう言った。
なにそれ。私とその人を、私の前で重ね合わせないでよ。死なないよ。死ぬわけないじゃない。
「水谷くん、失礼だと思う。私、そんな人間じゃないし。一緒にしないで」
失礼なのは私の方だとわかっていたが、止められなかった。水谷くんの前で初めて泣いた。
4月、ウィルスの勢いは増した。世界中で大勢の人が亡くなった。
私は、父の机でパソコンを開いて仕事をした。自宅にいるせいか、それとも会社全体の取引数が減っているせいか、どうにも仕事をやっている実感が薄かった。私にとっての仕事ってこんなものだったっけ。ぼんやりとした不安が、私を覆うのだった。
水谷くんとは、本当に会っていなかった。言ったことは守る人だった。
乗客数は減っているとは言え、彼は以前と変わらず、車掌の業務にあたっている。いまのところ体調に変わりはないというが、私の心配は絶えない。無力感が襲いくる。
連絡は取り合っている。顔が見たければ、ビデオ通話もできる。でも、全く物足りないのだった。
悔しいことに、私は水谷くんを求めていた。たとえ水谷くんの体が、亡き恋人によって形づくられたものだとしても、私は彼に触れたいと思った。自分が、誰かを求めるタイプの人間だったとは知らなかった。水谷くんと出会って以降、私は自分に驚かされている。
5月、兄から電話があった。
私はラタトゥイユを作ろうとしていた。安いからと、調子に乗ってたくさん買ったトマトが、熟れすぎてきたのだ。ちょうど湯むきに取り掛かっているところだった。放っておこうかとも思ったが、万が一何かあってはいけないと思い、電話に出た。
「もしもし、突然なんだけどさあ、俺が昔履いてたコンバースのスニーカー、まだとってあるかな?」
と、兄は言った。
「オールスターのこと?」
「そうそう」
確かに兄は十代の頃、色違いで何足もオールスターを持っていた。
「お母さんが捨ててなければあるんじゃない。私は触ってないよ」
「見てきて」
「なんで?いま料理中なんだけど」
「何作ってんの?」
「ラタトゥイユ」
「あー、野菜余らせたな」
「違うよ(そうだけど)。でもなんで靴探してんの?ないの?靴」
「あるよ、靴は」
兄の変なウェスタンブーツを思い出した。妙に懐かしい。
「じゃあ何なのよ」
「もう製造停止になった『MADE IN USA』って、いま高いらしいんだよ。古着屋だったら現行モデルの3倍ぐらいするんだって。俺のがメイドインどこのやつか、ちょっと見てきてよ」
そういうことか。兄も仕事が減っているのだろう。
「あのさあ、そもそも昔どこでオールスター買ってたの?原宿?代官山?」
「いや、五反田とか」
「五反田はないでしょ」
「なんだよそれ。バカにすんなよ五反田を。でもまあ、そうか。五反田だもんな。コンバースかどうかも怪しいよな」
兄はおとなしくなった。
「で、どうなの、規子は。元気?」
いきなり話題が変わった。
「まあね。運動不足だけど」
「車掌くんも元気?」
「うん。元気だよ」声が上ずった。
「そうか。それならいいんだ。まあ、色々あるだろうけど頑張れ。もうそろそろ東京も落ち着くはずだよ」
「占い師的見地からの発言?」
「いや、あんなウィルス、占えるはずないじゃん俺が」
「破れかぶれだね」
「ハハ。まあ、なんかあったらいつでも言ってくれ。話は聞くよ」
そう言うと、兄は一方的に電話を切った。
色々あるだろうけど頑張れ、か。
やれやれ、と思うと同時に、ふっと肩の力が抜けたような気がした。
そして6月。
私は二子玉川でバスに乗り換えようとしていた。
水谷くんから「うちに来ませんか」とのメッセージが入ったからだ。
「お互いの無事を確かめましょう」と続く固い文句が、水谷くんらしかった。
私は、彼が無事でよかった、と思った。
無事でない人が、この世にはたくさんいた。でも、彼が無事でよかったと、思わずにはいられなかった。
バスは、先ほど出たばかりのようで、あと10分以上待たなければいけなかった。私は、人影のない川沿いの道を歩くことにした。
右手にひろがる河川敷には、荒々しいほどに生命力を宿した草たちが生い茂っていた。緑に混じって、紫色の細かな花も咲いている。小さなものたちが、いつもよりくっきりと目に写った。
久しぶりに、本当に久しぶりに、私は深く息を吸って吐いた。日暮れを待つ澄んだ空気が、閉じていた体を満たした。私は、両腕を真横に伸ばして、空を見上げ、深呼吸を繰り返した。
ゆっくりと視線を下ろすと、50メートルほど先に、水谷くんが立っていた。これほどの距離があっても、彼が穏やかで温かい笑みを浮かべているのが、私には見えた。
了
文/大澤慎吾 撮影/手塚旬子