COSME DE NET

FOLLOW US

  • .&cosme
  • .&cosme
  • .&cosme

COLUMN

2020.04.06

兄は、およそ3年周期で肩書きを変えている。直近のそれは「占い師」だ。(第1話)

兄がいる。3度結婚して3度離婚している。

「天才って大体3-3でどっちもやってるよね。ピカソとか」

いつかそんなことを言っていた。気になって調べてみたら、ピカソは意外と2-1だった。

兄は、およそ3年周期で肩書きを変えている。いい加減だと思う反面、いつもそれなりに食えているから、大したものだと言えなくもない。

直近のそれは「占い師」だ。

大概のことには驚かなくなってきた私でも、これには耳を疑った。自分のことすら持て余している男が、どうやって人様の未来を占うというのか。

そもそも修行というか研究というか、そういう地道な努力を積まずに占い師になどなれるものなのか。

「なれるよ。名乗ればいいんだよ」

殴ってやろうかと思った。

それなのに、ちょっとずつ人気が出ている。誰が呼んだか「日本一あたらない占い師」。あたらないところがいいらしい。世の中どうかしている。

兄はむやみに高学歴だが、真面目に勉強しているところは見たことがない。もはや学歴など意味をなさない人生に見えるけれど、最後の最後、紙一重のところで他人に信用されるのは、早稲田大学卒業という履歴書のせいかもしれない。

妹の私は、兄とは対照的に、生真面目、心配性、潔癖症、神経質、まあどれも同じようなものだが、ひとことで言えば「可愛げがない」。

母からしょっちゅう言われていた。

「あんたは女の子なのに可愛げがない」

そりゃ、あんな可愛げの塊みたいな、可愛げが服を着て歩いているようなのが上にいれば、そう言いたくもなるかもしれないが、母に再三言われるにつれ、私が本来持っていたわずかな可愛げすら、風に吹かれるように目減りしていったのだ。

私が猛勉強の末、どこの大学にも受からず、浪人生活に入った頃、兄は大学を卒業し、実家を出た。そして、当時の彼女と入籍した。原付の免許を取る、みたいな気軽さだった。

兄は、着物を買い取る会社に就職した。

「着物を買い取る会社って何?」と聞くと、何が疑問かわからないという表情を浮かべた兄は、

「誰かの家に行って着物買ってくるんだよ」

と言った。

兄は評判がよかった。主な顧客は50代から60代あたりの主婦で、自分の母親が遺した着物の処分に困っている人達だった。母の形見として大事にせねばという義務感と、自分は着物なんか着ないからこのまま持っていても困るという本音との狭間で揺れていた。彼女らは依然として誰かの娘だった。

兄は、様子がいい。

顔貌(かおかたち)が整っていて、背が高い。肌がきれいで、髪がツヤツヤだ。いつもニコニコしていて人当たりがいい。誰かのことを悪く言わない。汗をかかない。足がまったく臭くない。

若くてキラキラした、見ようによっては王子様みたいなのが、家にやってくるのだから、楽しいひとときだったことは疑いようがない。

しかし、その時間は長く続かなかった。兄が転職したからだ。

そしてこの時期に、兄は1 回目の離婚をしている。お互いの浮気が原因だった。

その後、知り合いの運送会社を手伝って一時は「専務」までいったり、バーの雇われマスターをやったり、フリーライターを名乗ったりした。また結婚したり離婚したりもした。

ある日、兄はマジシャンになった。

確かに子供の頃から、手先の器用な人だった。長患いの父を見舞うたび、兄は覚えたての手品を披露していたのを覚えている。父は亡くなる直前まで、ベッドから嬉しそうに兄の手さばきを見ていた。まだ小さな手だった。

兄は四谷に「マジック居酒屋」なるものがあることを知り、自分を売り込んだ。見た目がいいのも手伝って、即採用となった。

酔客を前に、クローズアップマジックを披露していた兄だが、スマホの性能が上がり、面白半分の動画撮影によってトリックが見破られるようになった。オーナーは、マジック居酒屋を普通の居酒屋に軌道修正し、兄はまた転職した。それが占い師である。

占い。私は昔から占いが苦手だ。小学1年生の頃、同級生のみーちゃんが、花びらを1枚1枚ちぎってはキャーキャー言っていたのを、愚かだと思ってしまってからずっとだ。

そして、もうひとつ、私が占いを遠ざけてきた理由。ほかでもない、兄のせいなのだ。

 

私と兄は、4年違いで同じ誕生日だ。7月19日生まれ。

幼い頃は、誕生日会がニコイチみたいで不満だった。

思春期になると、両親にある特定の性向というか性欲というか、何かしらあるような気がして恥ずかしかった。

それはともかく、同じ親から生まれ、同じものを食べて育ち、そのうえ同じ誕生日で、なんでこんなに違う生き様なのか。兄はいつも楽しそうで、私はいつも仏頂面だった。いきおい私は占いを信じる気になれなかった。

ついでにもうひとつ、私には30年来の不満がくすぶっている。

私たちの名前だ。

兄は「夏海」という。「なつみ」。音だけ聞くと女の名前みたいだが、兄の容姿にはよく似合っている。海の見える病院で7月19日に生まれたから、夏海。由来もわかりやすい。

なのに私はなんで「のりこ」なのか。しかも漢字が「規子」だ。杓子定規で融通のきかない、真面目なだけが取り柄のつまらない女みたいではないか。夏生まれなのに。

「正岡子規みたいでいいじゃん」と兄に言われたことがある。どう「いい」のか説明して欲しい。

しかしながら、この「規子」というのは、実に私の内面に似つかわしい名前ではある。そこは認めざるを得ない。実際真面目だし。

私は神田にある小さな食品商社に勤めている。主にスパイスの輸入と販売を手がける会社だ。新卒で入って8年。子供の頃に夢見た職業、というわけではないが、その時々でベストを尽くした結果が、いまの人生だと思っている。

私の努力は報われることもあれば、思いも寄らぬ形で裏切られることもある。

少し前、私は課長の遠山さんと不倫していると、会社の一部でささやかれていた。

噂の発端は実に些細だ。

私が以前から愛用している琺瑯(ほうろう)製の弁当箱を、遠山さんも使い始めたのがきっかけだった。

(「お揃いのお弁当なんて!」「長嶋さんって地味なのに結構思い切ったことやるよね」)

もちろん、中身を詰めているのは私ではない。

遠山さんは、私が使っている弁当箱を見て、真似をしたのだと思う。なぜなら、遠山さんは私のことを信頼しているから。仕事上の参考意見を求められることもしばしばだったし、重要度の高い案件は私に割り振られることが多かった。

遠山さんはある日思ったのだろう。そんな長嶋が認める弁当箱ならいいものに違いない。

遠山さんは40歳らしい。子供がふたりいるらしい。男の子と女の子らしい。柏に住んでいるらしい。奥さんは専業主婦らしい。

らしいらしいとうるさくて申し訳ないが、私が知る遠山情報は、あくまで伝聞である。つまり私は遠山さんに興味がない。興味がなくても、この程度の情報は漏れてくるものである。

嘘だ。白状しよう。私は遠山さんが好きだ。3年前に突如として夢に現れるようになったのだ。

私は夢に出てくる人を好きになる傾向がある。これは他人に言えない弱点だ。平安時代じゃあるまいし。こんなことだから、生まれてこのかた、まともに恋人ができたことがないのだと思う。

この弁当箱不倫という馬鹿げた噂でさえ、私は少し嬉しかったのだ。あえて放っておいた。思えば、ずいぶん迂闊だった。

ある日の夕方、

「ちょっといいかな」

と遠山さんに呼ばれたとき、私は社内の視線を集めているような気がして、柄にもなく少し浮かれた。

会社から5分ほど離れた、古い喫茶店に入り、遠山さんと向かい合って座った。遠山さんは決してイケメンではないが、かつてラグビーをやっていたとかで、胸板が厚い。物事に動じないどっしりとした感じが、私には魅力的に映った。

遠山さんと私は、しばらく黙ったまま、コーヒーを飲んだ。仕事の話ならデスクでやればいい。何の話かと、期待と緊張が高まった頃、遠山さんが口を開いた。

「あのさ、気を悪くしたらごめん。最近なんか変な噂があるらしいけど…」

やはりあの話か。私は喜びとも不安ともつかない、妙な気持ちになった。

「…あの噂の出所って、長嶋さんなの?」

私は頭上から大量の冷水をかけられたような気がした。なんで私が。自分でそんな噂流すなんて、相当やばい女ではないか。

「俺、長嶋さんのことは、ほんと頼りにしてるんだ。だから、なんと言うか、こんなことでギクシャクしたらつまらないなと思って…」

カップを持つ手が震えそうになったが、耐えた。もはやコーヒーを飲んでいるのか、泥水を飲んでいるのか、わからなくなった。

「私じゃありませんよ。そんなわけないじゃないですか。馬鹿馬鹿しくて相手にしてなかったら、そこまで盛られちゃいましたか、噂。もうほんと馬鹿みたい」

気張らないと声が消えそうだったので、普段より大きなボリュームで喋った。

これからもよろしく。こちらこそです。などと言い合って、別々に会社に戻ることにした。

足ってこんなに重かったっけ、と思いながら歩いていると、電話が鳴った。いまどき、いきなり音声通話を仕掛けてくる人間など、ひとりしかいない。兄だ。

「おう、規子。今日飯食おう。うまくて安いところ見つけたんだ」

兄は常夏のような明るい声で、のんきな内容の話をした。西日がビルの隙間から現れて、私の顔を直撃した。

 

文/大澤慎吾 撮影/手塚旬子