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COLUMN

2020.05.11

生まれて初めて彼氏ができた。(第6話)

昨年の春、私は占い師の兄から「とてつもない不運が近づいている」と告げられた。もとより、占いとは距離をおいて生きてきたし、しかもそれを言っているのがいい加減な兄だし、真に受けないようにしよう、聞いたことすら忘れよう、と思うようにした。しかし、そう思えば思うほど、靴の中の小石のように、どうにも気になってしまうのだった。

駅までの自転車移動中、神保町までの地下鉄の車内、日々の仕事中、夕食の買い物中、どのタイミングでも、正体のわからない不運の種に対し、気づかぬうちに身構えているせいか、肩が凝った。

そんな調子で半年もの時が過ぎた。単調な毎日だが、「とてつもなく」悪いわけでもない。これは兄に担がれたな、私としたことが、と不明を恥じた矢先、生まれて初めて彼氏ができた。

毎年春と秋、母がオットーさんと一緒にドイツから帰ってくる。オットーさんは、70歳近い今も、現役のロックミュージシャンだ。その秋も、日本各地のライブハウスを周り、ちょっとしたツアーを行なった。まだまだ熱心なオールドファンがいるのだ。母もそれに同行するので、帰国したからといって、私たち兄妹とゆっくり顔を合わせるでもない。

ツアーファイナルの下北沢に、私も足を運んだ。兄はその日に限って「ライブハウスには近づくな、というカードが出た」などと、適当な理由をつけて、誘いを断った。なんのことはない。単にオットーさんの音楽が趣味ではないからだろう。私だって、曲と曲の切れ目もわからない、音源通りか即興なのかもわからない、ドイツ語か英語かもわからない、そんな音楽を楽しめるような素養もない。でも、コアな聴衆が熱狂している様子は、どこか微笑ましかったし、ステージ上でギターを弾くオットーさんがかっこいいのは確かだった。私は、隅の邪魔にならない場所に母と並び、ステージを眺めていた。

「規子も30だもんねえ。笑っちゃうよね」と、母が声を張り上げる。なにもこの轟音の下で言わなくてもいいのに、と思う。

そのあとに「最近どうなの?」とか、答えのない問いが来たら嫌だなと思っていたら、

「私、肌の調子いいと思わない?30過ぎた子供がいるようには見えないでしょ」

と、自分のことを話し出したので、ホッとすると同時に呆れる。でも確かに、母は少し若返ったような気がする。

新聞記者をしていた父が亡くなったとき、母はまだ30代だった。今はどうかわからないが、当時その新聞社では、未亡人を社員として受け入れる制度があった。子供を二人抱えた母に、迷う暇はなかった。文化事業部に配属された母は、持ち前のバイタリティを発揮した。やがて美術展や演奏会の企画を手がけるまでになった。そして50歳を目前にしたある日、オットーさんに出会い、ドイツに飛ぶのである。

どこを切り取っても、割とドラマティックな人生である。それに引き換え私はなんだ。本当にこの人の娘なのか。

母同様、おおむね50代以上と見える観客たちは、自分の年齢など忘れたかのように首を振り、拳を突き上げていた。そんな中に、私より若く見える男性の姿があった。多くが黒いTシャツ姿なのに対し、彼は白いシャツのボタンを首元まできちんと留めていた。6:4に分けられた髪は、襟足が綺麗に整えられている。まるでクラシックファンが紛れてしまったかのようだった。熱を帯びたフロアで、平熱のような彼はかえって目立った。

少し気になって、なおも彼を見ていると、体こそ揺らさないものの、眼差しはオットーさんにしっかりと注がれていた。一音たりとも聞き逃すまいという意志が、その目からは感じ取れた。

2時間近くのライブをこなしたオットーさんは、楽屋にすぐには引っ込まず、ファンからの写真のリクエストにも気さくに応えた。そのうちに私を見つけ、「ノリコー」と腕を広げ、近づいてきた。ハグも以前よりは慣れたつもりだが、まだ照れがある。

オットーさんの肩越しに、若い彼が見えた。気持ちエラの張った顔。実直そうな眉と、緊張気味に結ばれた唇。胸にはLPレコードを抱えている。どうやらサインが欲しいようだ。私はオットーさんに

「まだファンが待ってるみたい」と伝えた。

オットーさんは、レコードジャケットに目をやると

「これ、珍しいやつだ。サインなんか無い方が、高いかも」

と流暢な日本語で言った。

困惑したような若い彼を見て「うそ、うそ」と笑ったオットーさんは、レコードを受け取ると、サラサラとペンを走らせた。

「ありがとう。大好きです」と上気した様子で彼が言うのを、「ノリコー、君のこと大好きだって」とオットーさんが混ぜ返したが、久々のそういうノリにうまく反応できず、「アハハ」と曖昧に笑うしかなかった。

若い彼は、私の方に向き直り、

「いや、大好き、というのはですね、オットー・ツィンマーマンさんのことでして、いや、だからと言って、あなたのことが嫌いということでもなくて、判断材料がない、というか、僕はまだあなたのお名前も知らないので、すみません…」

と、しどろもどろになっている。彼は一礼するとフロアの端のカウンターへと向かった。そこで、サインをもらったばかりのレコードをパラフィン紙で包み始めた。決して器用とは言えない、でも子供が宝物を愛でるような手つきだった。幸せな指先に吸い寄せられるように私は彼に近づき、

「長嶋規子です。私の名前」と口走っていた。

水谷くんとはそうやって出会った。

 

なにが「とてつもない不運」だ!と兄に言ってやりたかった。

はっきり言って、私は浮かれていた。

「恋をすると景色が変わるよ」とは高校時代からの友人、玲香の口癖だった。私はそれを聞かされるたびに、

「東京はスクラップアンドビルドの街だから、実際に景色が変わってるんだよ」と心の中で悪態をついていた。

でも、いまなら玲香に言える。「わかるー」と。

水谷くんのことは、すぐに兄の知るところとなった。占い師ならではの洞察力が働いた、とかそういうわけではない。水谷くんが「皆さんにご挨拶をしなければ」と言い出し、私が「そんなのいいって」と言うのも聞かず、週末の実家に現れたからだ。

普段一人暮らしのこの家に、母、兄、オットーさん、そして水谷くんまでが加わり、突然溢れた人間の気配に驚いたのか、隣家の犬が、けたたましく吠えた。

私が男性を連れてくるなど、もちろん初めてのことだ。こういう場合、家中に緊張が走るものかと思いきや、そうでもなかった。

再婚して海外に飛び立った母や、結婚離婚それぞれ3度の兄にとっては、私の一大事など、中学生レベルの話のようだった。

「占い師という方に、初めて会いました。本当にいらっしゃるんですね」

水谷くんが、兄を見て言う。

「俺も車掌さんに初めて会ったよ。意外にイントネーション普通なんだね」

兄が少し残念がるのを聞いて、

「すみません。もっと抑揚つけた方がいいでしょうか?」

と、申し訳なさそうにしている。

水谷くんは東京メトロ日比谷線の車掌だ。北千住と中目黒の間を、1日3往復しているらしい。私より若いかと思ったら、2つ上だった。でもなんとなく「くん」付けが似合う。

「水谷さんは少食なの?さっきから全然食べてないじゃない」

母がせっつく。

「いえ、少食というわけではありません。ただ、生まれつき猫舌でして。大人なのに大変お恥ずかしいことです。いただきます。アゥッ!いやあ、おいしいです」

頑張って食べている。

みんなで鍋をつつくのは、和気藹々として大いに結構なのだが、鍋の内容に疑問が残る。

私たちが囲むのは、豆乳を煮立たせた中に、豆腐と湯葉、そして白菜が入っただけの、極端に白い鍋だった。

うちの近所に、古い豆腐屋がある。遠方からわざわざ買いにくる人もいるほどで、味には定評がある。この白い鍋は、オットーさんの大好物なので、彼の滞在中は2日と空けずにこれを食べることになる。豆腐も湯葉も豆乳も、確かにおいしい。しかし、鍋の中に主演級の役者が見当たらず、幾分物足りなさを覚えないでもない。客人がいるのだから、もう少しオーソドックスな鍋でもよかろうに。

「最高だよね。この豆腐。ドイツじゃ食べられない」

オットーさんはご満悦だ。

「俺、コンビニ行ってくるわ。ペヤング食いたくなってきた。オットーも食う?食わないか」

兄が言うのを聞いて、水谷くんが眩しそうに目をしばたいた。

 

水谷くんとは、とてもうまくいっていたと思う。私も真面目だが、水谷くんはもっと真面目だった。仕事柄当然かもしれないが、時間にはとりわけきっちりしていた。約束の時間に遅れることはもちろん、逆に早く着きすぎるようなこともなかった。必ずぴったりだった。

映画を見るにしても、ちゃんとカフェで待ち合わせしてから映画館に行った。そのあとの食事だって、きちんとしたレストランを予約してくれた。デートに「こなれ感」なんてまだ不要な私にとっては、嬉しいことだった。

世の中の人は、たいてい私より不真面目なので、誰かと一緒にいるということは、すなわち四角四面な自分に嫌気が差すことでもあるのだが、水谷くんとならその心配がなかった。私は思う存分真面目でいられて楽だった。

母とオットーさんが「よいお年をー、まだ早いけど」と毎度同じことを言ってドイツに戻ると、また私は一人暮らしになった。いつもならちょっと寂しく思うけれど、今回は水谷くんがいた。

そのうちに水谷くんが泊まりにくるようになった。そのことは私を喜ばせたが、いざ寝るときは、別室に布団を敷く、と言い出すので悩んだ。それでいいのか。

しかし、

「僕、朝4時には起きるから、規子さんに迷惑をかけるでしょう」

そう言われてしまうと、返す言葉がない。

何度か別室泊を繰り返してから、とうとう次の日は非番というタイミングがやってきた。それでも水谷くんは、「では、おやすみなさい」などと言ってあっさり別室に消えるので、私は頭を抱えた。最善策はなんなのか。玲香に相談しようかとも思ったが、長くなりそうなのでやめた。

30分あまり懊悩(おうのう)した結果、意を決して、枕を小脇に部屋を出た。

水谷くんが寝ているのは、かつて父が読書や書き物をするのに使っていた六畳間だ。20年以上そのままになっている。「どなたも使っていない部屋に」と水谷くんが言うので、ここになった。

ノックしようか、それともいきなり開けようか、妙なところでつまづき、余計な時間を食う。結局、音を立てないよう、ゆっくりとドアを開けた。空き巣並みの静けさで忍び込んだせいか、水谷くんは安眠していた。

私は、忍者レベルにまで気配を消し、彼の隣に体を横たえた。水谷くんは起きない。これではなんのために来たのかわからないが、次の一手が浮かばない。仕方なく、天井を見上げる。四方を囲む本棚の存在感が強く、怖いくらいだ。よくこんなところで眠れるな、と思う。

いまにも降ってきそうな本たちを見て、長らく薄れていた父のことを思い出した。母や兄と違い、几帳面な人だった。どんなに忙しくても、机の上を雑然とさせなかった。父の使うデスクには文具トレイが置いてあり、ピンと削られた鉛筆が常に10本並んでいた。そしてそれらは、いつ見てもぴったり均等な長さなのだった。父の留守中に、私はその鉛筆の姿を見るのが好きだった。目を閉じればいまも、横たわる10本の鉛筆がありありと浮かんだ。

父の気配を感じながら、水谷くんの寝息を聞いた。私は、かつてないほどに幸せな気持ちだった。このままずっと起きていたいと思ったが、いつの間にか眠ってしまった。

 

週末、しばらくぶりに兄が来た。ここのところ浮かれていて、兄のことを忘れていた。

どことなく元気がない。ため息などついているようにも見える。

「なんかさあ、調子でないんだよな」

「何?恋愛?」

普段の私らしくない返しだが、それに気づく様子もない。

「いや、仕事。お客さんの占いの結果を見ても、そんな悩み大したことないよ、って思っちゃうんだよねえ。でも占い師がそれ言っちゃ終わりでしょ」

「確かに」

「言っちゃったこともある」

「ダメじゃない。お客さん怒るでしょ」

「いや、それがそうでもなくて、そう言ってもらえて気が楽になりました、って嬉しそうに帰っていった。規子は最近悩みとかないの。楽にしてやるよ」

悩みか。ないわけではない。水谷くんとの進展がえらくゆっくりなのではないか、とか、なぜ水谷くんは家に招いてくれないのだろう、とか。

いつも「僕の家、狭いから」と、静かに、でもきっぱりと断られる。あまり気にしないようにしていたが、兄の顔を見ていると、いつかの占いを思い出す。

「とてつもない不運が近づいている」

私を家に呼べない理由でもあるのだろうか。誰かが、いるとか。いやいや、水谷くんに限ってそれはないだろう。

しかし、水谷くんは、その、なんと言うか、私に触れてこない。隣で寝ているのに。大事にされている、みたいなことで納得していい話なのか。中高生じゃあるまいし。

「あのさ、占いに有効期限みたいなのってあるの?どれくらい先まで見えるっていうか」

思わず尋ねていた。

「内容にもよるけど、半年前後かな」

意外と長い。

この目で確かめてみようか、と挑むような声が聞こえた。兄の声ではない。ならば私か。自ら占いに接近していることに、私はもはや気づいていなかった。

 

文/大澤慎吾 撮影/手塚旬子