心配、不安、胸騒ぎ、言い方は色々あるのだろうけれど、実際のところ、いちばん近いのは腹立ちだった。仁と連絡が取れないまま1週間近くが経った。
なんなの。どういう仕打ち?私が仁に何かした?
仁に会いたい。
私の身にもなってよ、と思う。ちょっといいなと思った男が泥棒だった。信じたくなかったが、本人が素直に認めたらしい。
このモヤモヤを一刻も早くリセットしたい。そういう時のために、恋人ってものがいるんじゃないの。
放送が1本分飛んだことで、進行プランは練り直し。日中は調整に追われ、仁の不在を忘れている時間さえあった。それが多少の救いではあった。
夜になり一息つくと、ライン、ショートメール、キャリアメール、会社のメール、ウェブメール、知っている限りの仁のアドレスに接触する。
文面上は
「何かありましたか?」
「今どこにいるの?」
「心配しています」
「連絡ください」
と、内心のイライラを見せないようにしていた。しかしどの宛先に送っても頑なに反応がない。
「会いたいよ」と付け加えた。
仕事を終え、外苑前の駅に向かう。ちょうど神宮球場でプロ野球の試合が終わったのだろう。黄色や黒の服を着た人が目立つ。ヤクルトの相手は阪神タイガースか。
観戦帰りの人で混雑しそうな時、私は一駅隣の表参道まで歩く。日中の暑さもこの時間になると消えている。
仁と野球の話なんてしたことなかったな。あの人、好きなチームとかあるのかな。だいたい野球見るのかな。どこにいるのかな。
普段なら考え事をするにはうってつけの道のりだけれど、今日はそれが辛い。
この世界のどこかで、仁はその細く長い指でアイフォンをそっと握っている。私は仁の指が好きだ。その仁の指が、私からのメッセージをことごとく無視する。理由はわからない。
さすがにもう、すねている場合ではない。探そう。そう思った。
誰に聞けばいいだろう。
共通の知人。思い浮かぶ顔はそう多くない。会社の同僚や学生時代の友人など、何人かとは仁を交えて食事をしたことがある。その時に連絡先を交換したはずだ。
文面をどう工夫しても、捨てられた女が男を探している、みたいな感じが拭えないのが癪(しゃく)だけど、突然の連絡の無礼を詫びつつ、メールを入れる。
同僚なら何か知っているかもしれない。私のこと、どうか覚えていて。
仁の実家は桜新町にあるらしい。前の結婚を機に実家を出たっきりになっている。両親は健在とのことだけど、私は会ったことがない。仁の両親が私の存在を知っているかすら定かではない。
元奥さんについて仁は多くを語らない。ピアニストだった。髪が長かった。時々そんなことを漏らすだけ。私から聞いておきながら、聞かされると辛くなった。きっと素敵な人だったのだろうから。もし、元奥さんのところに仁がいたら。そう考えただけで手の指が痒くなった。子供の頃からそうだ。嫌なことがあると、指の皮膚が痒くなる。指のアトピーだけがしぶとい。
仁がいないところで仁のことをあれこれ考える。今までそんな機会がほとんどなかったのかもしれない。考えれば考えるほど、仁の手触りは失われ、遠くに遠くに感じてしまう。知らずに涙がこぼれた。
何をするにも静かで、決して声を荒げず、私が時々機嫌を損ねても、仁をしばらく見ていると、怒りなんて無駄な抵抗に思えてくるほど穏やかな人。
そんな仁に私は安心しきっていたのだろうか。彼が日々何を思い、何を求めているのかに、私は寄り添うことをしただろうか。
マナーモードを解除し忘れたスマホが、テーブルの上でブブブッと鈍く鳴る。仁の同僚からの返事だった。全身の血が変な流れ方をしているような感覚に襲われながら、メールを開いた。
翌日、神保町での打合せの帰り、御茶ノ水にある仁の職場に向かった。同僚の男性からのメールに、直接会いたいとあったのだ。
「すみません。わざわざ来ていただいて」
初めて仁と会ったのはこの古風なビルの小さな応接室だった。その同じ部屋に、山本さんという同僚の男性が、丸顔に汗をにじませながら入ってきた。
「お久しぶりですね」と言った後、「実は、我々も全く連絡が取れないんですよ」と続けた。
「自分が知る限り、彼は無断欠勤なんてしたこともないし、そもそもするような男ではないです。お分かりだと思いますが。なので遠藤さんがご存知ないと聞いて、本当にどうしたのかと思って…」
ここにも手がかりがないとわかり、目の前から色が失われたようだった。
なぜかソファーのことを思い出した。仁の部屋にあった白すぎる革貼りのソファーだ。
「あの、もしかしてソファーのこと、知ってますか?」
「ソファー?」
仁が後輩にソファーをあげたという話を山本さんに伝えた。私の口ぶりから、かすかに女性の影を疑っていることを察したのか、汗を拭きつつ「ちょっとお待ちくださいね」と山本さんは席を外した。
しばらくして山本さんが戻った。後ろに20代後半くらいの女性を連れていた。どことなく気まずそうな表情。
「私がもらいました。引っ越したのでソファーを探してるって話をしたら、『うちのソファー買い替えるからよかったら』っておっしゃって。でも、あんまり綺麗で高そうなソファーだから、本当にいいんですかって聞いたんです。そしたら『実はこのソファー、彼女があまり気に入ってないんだ。だから遠慮しないで』って」
この女性の言うことに嘘はないのだろう。私のためだったの?そんなこと全然言ってくれなかった。
ご両親に捜索願を出していただこうと思います、と仁の会社を後にするとき、山本さんが言った。
梅雨明けの夏の空が、他人事のような顔をして青かった。
その日の夜は仁の部屋を訪ねた。
そっとドアを開けたあと、あらん限りの大声で「仁!」と叫んだ。暗い廊下の壁に私の声が反響した。仁の不在が際立った。
ソファーのあった場所に体を横たえる。ひんやりとしたフローリングを頬に感じる。どれくらいそうしていたか。気づけば涙がこぼれている。
どういう形であれ、仁の人生が続いていればいいなと願った。
それから3日後の朝、乗り換えの渋谷駅の雑踏で私は仁の死を知った。
自宅から5キロ離れた路上で、仁は倒れた。大動脈瘤破裂。救急搬送されたものの、ほぼ即死だった。
朝、ランニング中のことだった。所持していたのは五百円硬貨1枚のみ。身元不明の遺体として10日間に渡り、警察署に安置されていた。
ランニング。仁が走るなんて、私は知らなかった。
泣いた。泣き続けた。
悲しみと、悔いと、情けなさとで私は泣いた。
私は仁を愛していたのか。愛していることを伝えていたのか。
4年前、あのプロポーズを受け入れていれば、運命は変わっていたのか。
10日間の有給をもらい、会社を休んだ。
仁がいなくなって、私も死んでしまおう、とは思わなかった。それはつまらないよ、と仁ならきっと言う。仁のせいにして、私は死ななかった。
1年間、私は生きた。仕事を続けた。
相田奏は会社をやめた。やめてからもよく連絡をくれる。
フェニックス純は出てきたらしい。
皆、それぞれに生きていた。仁だけがいなかった。人がいなくなるって、よくわからないのだ。
電車の中で、指のきれいな男の人を見ると、胸を突かれたようになる。
街中を駆けるランナーを見ると、息が苦しくなる。
仁がいるからそうなるのに、仁がいないのだった。
時折、強烈に泣く。羽田空港に向かう京急の車内から一瞬富士山が見える。建物の隙間からほんの少しだけちらりと。
「控えめで好きなんだ」と、よく仁が言っていた。出張の朝は涙があふれて止まらない。涙はいつも流れるに任せる。
空港に着くと、トイレの鏡に向かう。
目の周りのファンデーションを直す。
泣き顔を隠すために始めたメイクが、いつしか私の気持ちを支えていた。
文/大澤慎吾 写真/塚田亮平