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COLUMN

2019.07.22

20年ぶりの再会にときめきが止まらない。これって運命!? 平常心でなんていられるか!(第2話)

童顔は褒め言葉か。

海外ロケが多かった頃、私のパスポートはスタンプだらけだった。一度の撮影につき、下見と本番で二度渡航するわけだからそりゃ数も増える。中には観光ではあまり行くことのないような国も含まれていた。

やたら多い渡航歴。一人旅。入国審査で引っかかることもちょくちょくあった。そんな時は政府観光局からの許可書類やらを提示し乗り切るのだが、ある国で一度、妙な目に遭った。

「生年月日と見た目が釣り合わない。お前が30歳を越えているわけがない。あり得ない。別室に来い」とのことだった。何もこれは自慢話ではない。

黒目がちで丸顔のせいか、人には童顔だと言われる。しかも長時間の飛行機移動の後だ。完全にすっぴん。髪は無造作に結わえただけ。中学生からさしたる変化のない痩せ形の体が、グレゴリーのリュックを背負っている。常にも増して、節約旅の学生っぽい。でも30過ぎが節約旅をしたっていいじゃないか。そういうことじゃないけど。

必死で説明し、なんとか解放されたからよかったようなものの、危ないところだった。

これに限らず日頃から若く見られることは多い。しかし喜んでばかりもいられない。大人の嗜みをないがしろにしたまま、いたずらに歳をとったとも言える。

汗だくの屋外ロケや徹夜続きの編集作業を言い訳に、自分の顔と真剣に向き合わなかった。一応日焼け止めは塗っていたが、昔から同じ銘柄のものを漫然と使っているだけ。

服装にしてもそうだ。いつも無地Tにオーバーサイズのパンツ(リーバイス501かディッキーズ874、果てはグラミチのクライミングパンツ)、スニーカー(基本オールスター、雨ならスーパースター)。学生時代の服とか余裕で着ているし。

それが今回の人事異動である。プロデューサーというのは、偉い人相手にやり合うのである。お金の話だってするのである。ディレクター時代にも勿論打合せはあったが、ラフな装いは「すぐにでも現場に行けます感」としてプラスに作用した。

しかしプロデューサーとなるとそうはいかない。学生みたいな格好では務まらないのである。信用に関わる。

そう意気込んだものの、クローゼットには現場向きのアイテムばかり。色もカーキやオリーブグリーンがやたら多い。どこかにあるはずと、奥から見つけた紺のパンツスーツ。3年ばかり前、番組が賞を取った。誰か授賞式に出ろと言われ、慌てて量販店で買った。以来袖を通していないそれに着替え、姿見の前に立ってみるが、やはり借り物みたいだ。就活でもない授業参観でもない。どうにも中途半端な女がそこにいた。やり手感ゼロ。

なんだか仁に対して腹が立ってきた。仁が「そのままの君が好き」とかなんとか、ビリージョエルみたいなことを言うのを真に受けて過ごしたばっかりにこんなことになってしまった。仁のせいだ。いや、私のせいか。

でも「そのままでいいよ」とは確かに仁がよく言うセリフで、あれは愛の囁きか、それとも呪いの文句か。やや呪い寄りだな。

春になった。今までとの勝手の違いに戸惑いながらも、どうにか何本かの放送を終えた。新米プロデューサー、打合せの日々は続く。

考えた私は、仕事帰りにユナイテッドアローズやトゥモローランドを訪ね、シンプルなテーラードジャケットをいくつか買った。これでなんとか格好がつくのではないか。ジャケットの下は相変わらずだが。

 

その日は夜になってから、会社のある外苑前を出て立川に向かった。相田奏と一緒だ。今回は彼女の提案した企画の打合せ。テーマは「インディーズプロレスに密着」。意外な取り合わせ。

先方の都合で遅い時間での約束だ。レスラーたちは皆、別の仕事を掛け持ちしながらの活動なので、夜がありがたいとのことだった。

中央線に乗るのは久しぶり。兄の家庭が円満だった頃は、ちょくちょく吉祥寺を訪ねた。どちらかと言うと子供が苦手な私でも、血の繋がった姪っ子は特別で、素直に可愛く思えた。会うのが楽しみだった。また、この子が生まれたおかげで両親に孫の顔を見せられたのだと思うと、感謝の情が溢れた。それなのに兄は家庭の一員であることをやめた。まあ今更恨んでも仕方ない。姪も大きくなっただろうな。私のこと覚えてるかな。

1時間ほど掛かって、立川に着いた。駅前はビルやらモノレールやらで想像以上に賑やかだったが、少し行くと住宅街に出た。スマホを頼りに歩を進める。10分ほど歩くと、町工場然としたトタン屋根の建物が現れた。「多摩都市プロレスリング」と太字の看板が外灯に照らされている。ここだ。

ちょうど約束の時間だったので、呼び鈴を押す。現れたのは背の高い男性。レスラーにしては細身。中に通され、その顔を見た瞬間、私は雷に打たれたようになった。ていうか打たれた。打ち抜かれた。

 

「フェニックス純!」

忘れようもなかった。20年近く忘れていたはずなのに、忘れようもないとは、いかにも都合のよい言い方だけど、本当にそんな気持ちだった。だってフェニ純だ!って一瞬で分かったのだ。

土間の中央に設えてあるリングの脇。私と相田奏は、長机を挟んで3人の男性と向かい合っていた。机の表面は凹みや傷が目立った。

目の前の男性たちは、レスラーであると同時に、団体の運営を担う管理職とのことだ。中央に座るのが代表の「皇帝エイトプリンス」。八王子ってことか。打合せ中でもきっちりマスクで顔面を覆っている。向かって右に「デンジャラス青梅」。3人の中でもひときわ大きい。岩山のようだ。

そしてもうひとりが「ミスターマー」。いや、私にとっては「フェニックス純」だ。平常心を保てない。大学時代の記憶がどんどん甦る。

 

私はサークルすらまともに入ったことがなかった。

でも毎年必ず、学園祭には出かけた。目的はたった一つ。学生プロレスを見るためだ。

 

プロレス。4つ違いの兄は、子供の頃から夜中のテレビ放送をせっせと録画したりして、随分熱心だったようだが、私は特に興味はなかった。まあ小中学生女子は大抵プロレスに興味はない。同じ曜日にやっていたカウントダウンTVなんかを見ていた。

それが月日も流れたある日、出会ってしまったのだ。18歳。初めての学園祭。行くには行ったが思ったより馴染めず、一人フラフラ構内をほっつき歩き、たまたま通りがかった講堂前野外特設リング。見慣れた風景の中に、違和感丸出しでプロレスのリングが組んである。なんだこれは。

試合開始にはまだ時間があったのだろう。本番に備えたアップ中か。一つ一つの動きを、真剣な面持ちで確認するプロレス同好会の姿があった。

その中にひとりだけ、別格に眩い輝きを放つ者がいた。すらりとした長身。引き締まった筋肉。赤いタイツに金色のブーツ。そして何より場違いなほどの美貌。カールスモーキー石井みたいな顔だった。米米クラブはよく知らないけど。

彼がロープを飛び越したり、受け身をとったり、動くたびに長めの髪がはらはらと踊り、濡れたような睫毛にかかる。同僚とにこやかに会話を交わせば、綺麗な白い歯がこぼれる。なんだこれは。

私は吸い寄せられるように客席に座り、そのまま試合開始のゴングを聞いた。そして魅了された。出てくる選手ひとりひとりが、複雑な技や高所からのダイブを決めてみせた。学生とは思えない動きだった。それでいて随所に笑いを散りばめ、見る者を飽きさせなかった。

下ネタ丸出しのリングネームを名乗る選手ばかりの中、美しい彼だけは「フェニックス純」という名を与えられていた。その名に違わぬ華麗な身のこなしで空中技を繰り出し、見事勝利を収めたのだった。「法学部1年、突如現れた期待の超新星」と実況役の部員が紹介していた。私と同級生だ。胸の高鳴りはなかなか収まらなかった。

 

20年の時を隔てて、私の胸はまた高鳴っている。何これどうしよう。

文/大澤慎吾 写真/塚田亮平