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SKINCARE】【COLUMN

2020.03.05

小麦色肌から白肌へ、紫外線が変えた肌の美意識。UVケアの50年を振り返る。

なんのためにスキンケアをして、メイクをするの? 「キレイになるため!」。それなら、なんでキレイになりたいの? 「え!?」 そう思ったみなさんにおすすめの連載コラム。化粧文化研究家の山村博美さんが、キレイをあらゆる角度から紐解きます。

今はUVケアが欠かせない時代。でも昔は、日焼けは健康的と言われていた。

あっという間に3月。春本番を前に、女性誌ではもう新作UV(紫外線)ケアの特集が組まれています。“紫外線はお肌の大敵”という意識は、今では世の中に広く浸透していて、皆さん日に焼けないよう注意していますよね。でも、こうした意識が高まったのは昭和の末期から。意外と歴史が浅いのです。

それどころか昭和40~50年代には、夏は日焼けをするのが当たり前の時代でした。

年齢的に今40代以上の皆さんは、子供の頃、日焼けをし過ぎて皮がむけたとか、大人になって海外旅行先のハワイやグアムで肌をこんがり焼いたなど、数々のお肌の黒歴史を持っているはず。

昭和後半、夏のオシャレは小麦色の肌とともに。

ひと昔前、夏の日焼けがブームだった時代は昭和の高度成長期! 人々の生活水準が上がり、海外旅行やスポーツと、遊びで日焼けをするのは豊かさの証明でもあったのです。

当時の大手化粧品会社のキャンペーンを振り返ると、夏は水着のモデルが日焼け肌をアピールするのが定番! CMでは「太陽に愛されよう」「ブロンズサマー」「oh クッキーフェイス」などと、小麦色の肌が強調されていました。

化粧品会社以外も然り。昭和54年(1979)に全日空が「こんがり沖縄キャンペーン」を展開した際の広告コピーは「トースト娘ができあがる。

今では考えられないですが、世の中全部がこんな感じだったんです。

オゾン層破壊で紫外線が増加。環境問題がUVケアの意識を変えた!

夏は日焼けして、秋から冬にかけて白肌に戻すのが、昭和後半のキレイの流儀。しかし昭和末期に、フロンで破壊されたオゾン層から降り注ぐ紫外線が、肌に悪影響を与えると世界中で問題になって状況は一転。平成に入ると、夏でも白い肌がキレイの指針になったのでした。

ちなみに昭和55年には、資生堂が国内の化粧品会社で初めて、シミ・ソバカスの原因になるUVBを防ぐ効果を示すSPFを表示した日焼け止めを発売!

このSPF値、最初は10に満たなかったのですが、各社が競って高い値の商品を発売した結果、平成10年(1998)には123にまで上昇。さすがに行き過ぎだと12年から上限が50、それ以上は+(プラス)と表記するよう改められたのでした。

これからも続く白肌志向。子どもたちにもUVケアの正しい知識と対策を!

紫外線と肌の研究はさらに進み、平成8年にはSPFに加え、シワやたるみを引き起すUVAの防止効果を表わすPAが表示されました。紫外線の肌へのダメージがここまで明らかになったからには、日本女性の白肌志向は今後も続くでしょう。

今、私が気になっているのが子どものUVケア。自治体や学校によって方針がまちまちですが、これからは学校でも紫外線教育が必要! 正しく学んで、子どもも日焼け止めを使うのが、時代に即していると思います。

大人も子どもも、コスメや日傘、サングラスなどできちんとUV対策をするのは、未来の自分への投資。20年、30年先のお肌と健康のために、手を抜かずにいきたいものです。

 

写真提供・文/山村博美