みなさん、こんにちは。
大竹稽がお送りする「禅の美容室」。
春の息吹が感じられる時期になりました。「春されば まづ咲くやどの 梅の花…」万葉集にある山上憶良の句ですね。「春さるは、春が来るだぞ!」と言っていた古文のおじいちゃん先生の顔を思い出します。
でもまだ風は冷たいですね。とりあえず、冷たい風はよけるにしかず。どこか温かいところで、コーヒーブレイクをしながらこのコラムを読んでくださると嬉しいです。
美しい文章ってどんなものでしょう?
さて、次の文を読んでみてください。
「先生わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど折角お仕事中のとこかまいませんですやろか?」
美しさのヒントは、こんな文章にも隠れているんですよね。
谷崎潤一郎『卍』の冒頭の文章ですが、読みにくくなるように手を加えています。なぜ、読みにくいのでしょう?
指導やコンクールの審査などで、子供たちの文章を読むことがあります。そんな中、読む気を削いでしまう理由が二つあります。
段落がない。
句読点がない。
この二つです。
先のものは、谷崎の文章から句読点を消したものです。
本来のものは、こちらです。
「先生、わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど、折角お仕事中のとこかまいませんですやろか?」
句読点を意識して生活していますか?
ここ最近、「美意識」というテーマがビジネスの現場でも注目されているのを、ご存知ですか?
おそらく、美意識というキーワードは教育現場にまで広がっていくと思います。
さて、このコラムを読んでおられるあなたの美意識が低いわけがない。そして、禅の「美」が、「これぞ美」という頑固なものでないことを、すでに理解されてることでしょう。
細川和尚も、この点は強調されています。
「美を固定させないようにしましょう。正しく見るためには、まず、現実を受け入れることと、固定して見ないようにすることが大切です。それができない美意識は、ストレスによってゆがんだ意識です。そのゆがみは、体や顔にも出てきてしまいます」
ガチガチでもない。グニャグニャでもない。
しなやかな美意識。
それが大事なことはわかりましたが、さて、そんな美意識はどうすれば身につけられるのでしょう?
「生活の句読点を意識することです。句読点というものは、それ自体では意味がないものですよね。でも、これがないと、文章は成り立たない。誤解もされてしまうでしょう。同じように、句読点がない生活も、みにくいものなのです。句読点を意識することで、生活は規則正しくなり、リラックスしたものになります。句読点はみなさんそれぞれによって異なるものであるはずです。わたしたちにとっては、坐禅であったり掃除であったりします。みなさんそれぞれにふさわしい句読点を見つけ、意識しましょう」
文における句読点だって、作家それぞれで違います。教科書的な句読点もあれば、谷崎潤一郎のような句読点の置き方もある。
ただ、句読点があるとないとでは大違い。
さて、みなさんは今日、どんな句読点をつけたでしょうか?
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ところで、フランスのエスプリはお好きですか?大竹稽の専門はフランス思想、そんなわたしの新作が出ています。心の美しさをキープし、リラックスして日々を楽しむ金言がいっぱいの本、『超訳モンテーニュ』です。楽しんでいただけると最高に嬉しいです。
文・写真/大竹稽(思想家、教育家)