みなさん、こんにちは。今日はどんな一日になりそうですか?
大竹稽がお贈りする「禅の美容室」。
「忙中に閑あり」、心がなくなりそうなほど忙しい日々に、ほっとたたずむ瞬間をお届けできますように……。
今回の和尚は、下町全開、東京都台東区三ノ輪(さきほど、『三ノ輪』があのテレビ番組で特集されていました)にあります月洲寺の河又宗道和尚。身体も笑顔も弾けちゃう和尚です。前回に続き、「画(え)になる人」をテーマにお贈りします。
寺ヨガって?
「寺ヨガ」、聞いたことありますか? あなたも参加されたことがあるかもしれませんね。文字通り、お寺でするヨガのことです。
お寺の境内と本堂は、心をリラックスさせる空気に包まれています。お寺に入ると身が引き締まったり、背筋が伸びたりしませんか?
それは、ほどよい緊張、つまり心身のリラックス状態なんですよね。肩が凝るような緊張、ノーグッドなものとは異なる緊張です。
さて、そんなお寺の力を活かし、「寺ヨガ」が各地で開かれています。河又和尚のお寺月洲寺さんでも「ゆったり寺ヨガと和尚さんのやさしい話」が開かれています。
流れという筋道。
ヨガについてはド素人なわたしですが、聞くところによると、ヨガをする人たちは場の空気と一体化していくそうです。だからこそ、ヨガは場所を選ぶ。
つまりそれは、「画になる人」と、ピッタリ合いますね。え、よく分からない? 例えば、「馬子にも衣装」といいますが、それは馬子が「馬子」として画になるからです。「馬子」でもない男の子が馬子の衣装を着ていたら、チンドン屋さんになりかねません。
「目立つ美ではなく、流れの一部になれるという美。それが、禅が伝える美しさなんですよ」
河又和尚の目が優しさをたたえて話します。
しかし、そのような美は自ずと人目を引きそうな気もしますが、みなさんはどう思われますか?
美は形式ではなく、美は己のもの。
「それは、見ている人も心が洗われるからです」
と河又和尚。
どうにも場にそぐわない、流れを乱すような人もいます。その人にどのような主義主張があるか分かりませんが、やはり美しくありません。
「画になる人たちそれぞれに、その場にふさわしい美しさがあります。それは形式的にマネできるものではありません。『筋道ができている』、そんな美しさを表現できる人こそ本物の美人と言えるのでしょうね」
つまりそれが……?
「はい。己のものとなった美しさでしょう」
さて、次回で河又和尚のお話しは終わり。ちょいと調子を変えて、「カラオケと美人」につなげてみたいと思います。え、意味が分からない? 大丈夫、大丈夫。
ご期待ください。
文・写真/大竹稽(思想家、教育家)