伯父さんが心臓の病気で死んでしまった。
たまにしか会わなかったけど、優しい人だった。
お父さんは、自分のせいだと言って、落ち込んでいた。
伯父さんはランニング中に倒れてしまった。
伯父さんに走るのをすすめたのが、お父さんだった。
お父さんはランニングが趣味だ(私がジョギングと言うと必ず「ランニング」と直される)。
ほとんど毎日のように走っている。1回で10キロも走るらしい。10キロといったら私の小学校のトラック100周分だ。
自慢げなお父さんに、私はすごいねと言ってあげるけど、本当は意味がわからない。そんなに走って何が楽しいのだろう。
伯父さんが最近ちょっと太ってきたと聞いて「じゃあランニングだよ」と、お父さんは力強く言った。その一言をお父さんは後悔している。
この前お父さんがこっそり泣いているのを見た。どきどきした。見なかったふりをした。
伯父さんが亡くなったばかりの頃は、お葬式やら法事やらで、忙しそうにしていた。普段のお父さんより、ずっと忙しそうだった。
お父さんは家で仕事をしているから、私が学校から帰ると必ずいる。
いつもパソコンに向かって、絵を描いている。
私が玄関のドアを開けると、お父さんは自分の部屋から大きな声で
「おかえり。元気かな?」と聞いてくる。
毎日必ず聞かれるから「元気かな?」より先に「元気だよ」と言いそうになる。
お母さんは本当に忙しい。洋服屋さんの「マネージャー」をしている。「マネージャー」は「店長」よりうんと偉いらしい。お父さんがそう言っていた。
いつも帰りが遅い。私が眠ってから帰ってくることもある。出張で年に何度も外国に行く。
洋服屋さんだから、たくさんの洋服を持っている。家はそんなに広くないのに、洋服を置くために部屋を丸ごと一個使っている。
私は時々、その部屋に入って、お母さんの洋服を触るのが好きだ。私はまだ背が低いので、サイズは全然合わないけど、こっそりブラウスや上着を身に付けてみる。鏡に写してみたりもする。でもスカートは履かない。一度試してみたら、長すぎてとってもダサかったのでショックだった。お母さんが履くとカッコいいのに。
お母さんは美人でスタイルがいい。髪型もしょっちゅう変える。この前なんか横と後ろを刈り上げていた。他のお母さんなら絶対しない。私はお母さんが大好きだ。
夕飯はお父さんと二人で食べる。
「新しい先生どう?」
4年生の途中で先生が変わった。田村先生が産休に入ったからだ。田村先生は怒ると結構怖い。だから男子たちは「産休サンキュー」と言って喜んでいた。
今度の先生はすごく若かった。大学を出たばかりみたいに見えた。鹿児島先生という名前だ。でも東京出身らしい。
「うーん、なんかテンション高い」
私は正直に答えた。
「そうなんだ。最初だから頑張ってるんだね。仕事って大変なんだよ」
お父さんは「仕事は大変だ」とちょくちょく言う。
自分の仕事が遊びみたいに見えるのを気にしているのかなと、私は思っている。
お父さんの料理はおいしいけど量が多い。特にボンゴレスパゲティは山盛りで出てくる。アサリは夕方を過ぎると半額になる。保育園の頃は、帰りに毎日お父さんとスーパーに寄っていたから、知っている。
残すと悪いので食べるようにしているけれど、このままいくと私は太ってしまうのではないか。お母さんみたいにスタイル良くなりたいのに。
「僕もユウちゃんも太ってないから大丈夫」
お父さんはお母さんのことをユウちゃんと呼ぶ。私のことは「詩子」と呼ぶ。ウタちゃんとはたまにしか呼ばない。
「太りたくなければ僕と一緒に走る?」
「いや、それはいい」私はまだ死にたくない、と心の中で思ってから、伯父さんごめんと唱える。
水曜日は4時間授業だ。放課後にたくさん遊べるので、クラスのみんなもなんだか朝から楽しそうだ。
1時間目の学活で、若い鹿児島先生が黒板に
「二分の一成人式」と書いた。
鹿児島先生は、黒板に字を書くのがまだ苦手みたいだ。なんだか斜めになってしまう。
「成人式」ならニュースで見たことがある。若者が派手な着物で集まるやつだ。
「わかった!俺たち今年で10歳だから成人式の半分で、二分の一なんだ!」
遼太郎くんが立ち上がって大声を出した。遼太郎くんは勉強はできるけど、うるさい。
「じゃあ、あたし着物着たーい」
早希ちゃんが言う。早希ちゃんはクラスで一番背が高い。鹿児島先生とあんまり変わらない。
みんながガヤガヤし始めたので、「はい静かに!」と先生が良く通る声で言った。
「皆さんは今年で10歳になります」
「もうなりましたー」「僕3月生まれだからまだまだでーす」
男子たちはまだおしゃべりをしている。
「遼太郎くんが言ってくれた通り、みんなは成人式までの半分の時間を生きたことになります。そこで今度、10歳のお祝いと、お家の人への感謝を表す会を催します。本番は体育館でやりますよ。あっ、ちなみに着物は着ません」
「えーっ、なーんだ」
「みんなの前で手紙を読み上げてもらいますから、頑張ろうね!」
「はーい」「あれ?なんか声が暗いよ!」
放課後の校庭で、早希ちゃんや佳音ちゃんたちと一輪車で遊んだ。私は早希ちゃんに教えてもらって、最近うまくなってきた。
「お手紙、何書こうかなあ」「二分の一成人式?」「うん」
一輪車は、鬼ごっこと違っておしゃべりできるからいい。
「お父さん毎日お仕事お疲れ様。お母さん毎日おいしいご飯ありがとう。みたいな感じ?」
「なにそれ、普通〜」「確かに普通すぎるね」
みんなケラケラ笑っている。
普通、ね。私の家は普通じゃないのかな。
「ウタちゃんの家はいいよね。変わってるから」
佳音ちゃんにそう言われてドキッとした。
「だってパパずっと家にいるんでしょ?ご飯もパパが作るって。人と違う手紙書けるじゃない」
「そうかなあ」
ヘラヘラ笑いながらも、なんだかすごく嫌な気分がしたことに驚いた。
佳音ちゃんは可愛い。いつも素敵なスカートを履いて、綺麗な髪飾りをつけている。そんな可愛い佳音ちゃんを嫌だと思うなんて、私はどこかおかしいのか。
確かに佳音ちゃんの言う通りだ。
お父さんはいつも家にいる。だから参観日や保護者会にはたいていお父さんが来る。二分の一成人式にもきっと来る。
うちはお父さんもお母さんに負けないくらい目立つ。まず髪が女の人みたいに長い。肩までまっすぐに伸びている。それなのにヒゲがたくさん生えている。保育園の頃はなんとも思わなかったけど、小学校に入ると周りがザワザワしているのに気づいた。
4年生ともなれば、みんなもさすがに慣れたみたいだけど、鹿児島先生はきっと驚くだろう。
男の子たちが遊んでいるサッカーボールがこちらに転がってきた。私は一輪車から降りて、ボールを思い切り蹴った。ものすごく飛んだ。
「おい、すげえな」と男の子たちが言っている。それも嫌だった。
帰り道、佳音ちゃんとふたりになった。家の方向が一緒なのだ。
「今年のお誕生会どうするの?またうちで一緒にやる?」
言われてしまった。
いつそれを言われるか、このところ私はビクビクしていた。
佳音ちゃんと私は誕生日が2日違いだ。去年は佳音ちゃんの家で合同誕生会をやった。家中どこもかしこも飾り付けられてキラキラしていた。佳音ちゃんママ手作りのケーキも美味しかった。友達もみんな楽しそうだった。
でも私は楽しくなかった。早く帰りたかった。今年もあれをやるのかと思うと、目の前が暗くなる。
「どうしようかなあ。私もお母さんに聞いてみるね」
一応そう言ったものの、毎年10月はお母さんが特に忙しく、土日もきっと
家にいない。
佳音ちゃんと別れ、とぼとぼ歩く。
私たちの古いマンション。うちに来たことのある大人は全員「味があるね」って言う。今日はなんだか一層古ぼけて見える。
「ただいま」
「おかえり。元気かな?」
お父さんの声が響く。
「元気だよ」
と返事をして、私は自分の部屋に入る。ため息がとても上手に出てびっくりした。
文/大澤慎吾 写真/塚田亮平