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COLUMN

2019.07.22

ネタにもならない38歳未婚。でも恋人はいる。だからって全然大丈夫じゃない。(第1話)

何年前だったか、社長が突然「フリーアドレス」なることを言い出して、社内が束の間そわそわした。

座席の固定をやめて、各々好きな場所で仕事をしようじゃないか。(なんで?)何はともあれやってみようじゃないか。(わかりましたー)

「まずはやってみよう」というのが、社長の基本スタンスだ。思いつきで物を言い過ぎなのでは、と時に苦々しくなる事もあるけれど、どこか楽天的でないと経営者は務まらないのかなあと、彼を見ていて思う。私には無理だ。

結果を言うと「フリーアドレス」は実にあっけなく頓挫した。誰も「フリー」に座らなかった。気がつけば皆昨日と同じ席に着いていた。担当する番組ごとに席が固まっている方が何かと楽だし、大量の参考資料や書類などをその都度ロッカーから持ってきてはまた片付けて、というのはきつい。

それに朝の早い後輩が、後から来る先輩よりもいい場所に陣取るわけにもいかなかった。テレビ業界はいまだに徒弟制度っぽいのだ。

そんな中、一人だけ「フリーアドレス」に馴染んでいたのが相田奏だった。

彼女がまだ新人の頃だったと思う。綺麗な子だった。目鼻立ちが特別なわけではない。しかしトータルで考えると実に綺麗だった。

透けるような白い肌。肩の下までストンと落ちた真っ直ぐな黒髪。無理なく整えられた眉。艶やかな睫毛。そこに潔いほど鮮やかに引かれた赤いリップが映える。表情はあくまで柔らかく、近寄りがたい印象はない。

加えて何らかのスポーツ歴を伺わせるメリハリのある体型。身長は170センチ近くありそう。顔が小さいのでさらに際立つ。

高価そうな服と、古着のようなアイテムをミックスさせるのが好きみたいだ。センスがいい。

とにかく目立っていた。いいなあ、私もあんな風になれたらなあ。100年かかっても無理か。仕事がんばろ。

彼女がごく自然に、好きな場所にパソコンとコーヒーを持って行く姿は、なかなか感慨深いものがあった。なんかもう私らとは明らかに違うぞ。

しかし相田奏のアドレスだけがフリーでも、残る全員がガッチガチではどうにもならない。社長は「まあやってみなけりゃ分かんないよな」と笑っていた。

「マリさん」と下の名前で私を呼ぶのも社内で相田奏ただひとりだ。他は普通に「遠藤」「遠藤さん」と苗字で呼ぶ。

「マリさんの彼氏って歳いくつなんですか?」

午前中からこんな質問をぶつけてくるとは、なかなかのものだ。相田奏は屈託なさそうに斜向かいの席に座っている。帰国子女?と聞いてみたことがあるが、そうではないらしい。軽やかな雰囲気の人を捕まえて、すぐ外国を連想するとは我ながら古い。

私は交際相手のことなどベラベラ喋るタイプでもないのだが、誰に聞いて知ったのやら。

別に隠すことでもない。仁は45歳。私より7つ年上。出会った頃は仁も40になるかならないかだった。結構経ったな。

 

いい大人が5年以上も付き合っていれば、先々の話なんかも出るでしょうよ、と言う人は言うだろうけど、そんなのケースバイケースでしょうよ、とこちらは言いたい。私の周りでは、38歳未婚なんて当たり前すぎて、飲みでのネタにもならない。48くらいの先輩がやっとネタにしている。

だけど時間はどうあれ過ぎていく。年度末の人事異動。大抵は担当番組が変わる程度だけれど、今回は私にとって大きかった。80人ほどいるテレビ番組制作会社。まあまあの規模だ。入社して3年間はアシスタント。その後ディレクターになってロケと編集の毎日。平和なバラエティも、ちょっと硬派な歴史番組なんかもやったが、いちばん長く担当したのは旅モノだ。国内外問わずあちこち出掛けた。仕事で海外行けるなんていいね、と何人もの人に言われたが、その通り。いい。苦労も多いが、それでもやはりいい。最近は予算の都合か国内が多いけど。

これからも旅から旅への生活を送るのだろうな、とごく当たり前に考えていた1月のある日、妙にニコニコした社長に「遠藤、ちょっと」と呼び出された。促されるまま会議室に入ると、各番組のプロデューサーの立場にいる先輩たちが、ずらりと顔を揃えていた。私が入社した時には既にキャリア十分だった人達だ。

これも社長の方針なのだろうが、うちの会社ではディレクターとして場数を踏んだ人しかプロデューサーになれない。映像作りの現場を知らない者に、責任者は務まらないとの考えだ。楕円形のテーブルを歴戦の猛者みたいなメンバーが囲んでいる。なんだろう。私何かやらかしました?

「遠藤さあ。君何年目」恐る恐る着席した私に、社長が尋ねた。

不意に聞かれても困る。子供みたいに指折り数える。15?私15年もやってるの?

「15年目みたいです」

「そんななるの」隣に座る山縣さんが言う。「ついこの前みたいな気がするけど。やばいね」

山縣さんは私が初めてアシスタントとして付いたディレクターだった。話す時にはいまだに少し緊張する。

15年か。同期入社は10人ほどいたのだが、今では3人になってしまった。

「4月から枠が1個増えるんだ」社長はにこやかに私の顔を見て話し始める。他の人たちは既に知っているようだ。平然としている。

「そうなんですね」

「そうなんですよ。でね、遠藤、君プロデューサーやってくれない?」

「!?」

社長は依然としてニコニコしている。先輩方はニヤニヤしている。なんだか私はプロデューサーをやることになった。

その晩、人事異動の件を仁に伝えた。

「出張減るのかな?」

「まあね。たまに行く程度だと思う(ちょっと寂しいな)」

夕方のニュースのワンコーナーだ。流行や世相を映すVTRを週一本。局からの要望は、20代の若手ディレクターによるフレッシュな企画とのことだ。で、プロデューサーもそこそこ若い方がいいというわけか。

「編集もしなくなるわけだよね」

「そうね。私は上がりをチェックする感じ(偉そう。できるのか私に)」

「そうなんだね」

メガネの奥の仁の目は表情が読み取りにくい。裸眼だとそうでもないのに。泊まりの仕事が減ることを喜んでいるのかどうなのか。仁と付き合って5年。いわゆるすれ違いと言い出したら正味2年分はすれ違っているだろう。その晩も会うのは2週間ぶりだった。お互いバタバタしていると、それくらい会わないことも珍しくない。それでもなんとか別れずに続いているのは、稀にみる幸運なのだろうか。理解のある恋人に恵まれたのだろうか。それとも私が理解ある人間なのだろうか。その「理解」は「問題」と言い換えられはしないか。そんな感じで5年。

文/大澤慎吾 写真/塚田亮平