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MAKEUP】【COLUMN

2019.07.10

キレイの定義は時代によって変わる。

なんのためにスキンケアをして、メイクをするの? 「キレイになるため!」。それなら、なんでキレイになりたいの? 「え!?」 そう思ったみなさんにおすすめの連載コラム。化粧文化研究家の山村博美さんが、キレイをあらゆる角度から紐解きます。

化粧が表舞台に出てきた『平成』という時代。

平成の30年間は、女性たちの間で『見た目志向』の意識が高まり、それまで主役だったファッション以上に、『化粧』が注目された時代でした。茶髪、細眉、エステ、美白、まつエクなど、次々登場する新しい流行を取り入れて、いくつになっても若々しくキレイでいる努力をするのが、平成流のおしゃれと。

ところがここ数年、自然の髪色を活かすグレイヘア(白髪)が提唱されたり、アメリカではアンチエイジングという言葉を使うのをやめる雑誌があらわれるなど、これまでの「若さ=キレイ」の構図が変わりつつあります。こうした状況に、戸惑いを感じている方も多いのではないでしょうか。

今は自己表現、昔は社会のルール。時代とともに化粧の立ち位置も変わる。

歴史を振り返ると、化粧の美意識は時代によって違いました。

現在は、おしゃれはほどほどにと考える自然派にとって化粧は「身だしなみ」、キレイになることに労を惜しまない積極派にとっては「自己表現」の手段です。いずれにしても、自分のしたい化粧が選べます。

しかし、昔はそうではありませんでした。日本で化粧が庶民の間に広まったのは江戸時代の半ば頃。その当時の化粧には守るべきルールがありました。

『黒』の衝撃! 化粧を見れば、どんな女性かがわかった江戸時代。

もともと日本で伝統化粧に用いられた色は、白粉の『白』、お歯黒と眉化粧の『黒』、口紅や頬紅の『赤』の3色のみ。そのなかでルールがあったのが『黒』の化粧の、お歯黒と眉でした。

そのルールとは、女性は結婚が決まるとお歯黒をして、子どもができると眉をそり落とすというもの。

下の浮世絵を例にとると、左の女性は歯が黒くて眉がないので既婚で子持ち。右は白歯で眉があるので未婚で子どもがいないなど、化粧を見るだけでどんな女性かがひと目でわかりました。

「浮世四十八手 茶屋にまつやくそくの手」 江戸後期 渓斎英泉画 国立国会図書館所蔵
「浮世四十八手 茶屋にまつやくそくの手」 江戸後期 渓斎英泉画 国立国会図書館所蔵

今では考えられない話ですが、妻として夫や義父母に仕え、母となり、老いては子に従うのが封建社会の女性の生き方。そういう社会において、『黒』の化粧は、妻であり母であることを世間に示す大切な策だったのです。

自由だからこそ、考える余地がある。

ひるがえって平成の化粧は、年齢や属性不詳、いくつになってもエイジレスな若々しさに価値を見出してきました。グレイヘアに象徴される近年の動きは、そうした若さ礼賛や、美しさに価値を置く風潮が続いたことに対する揺り戻しで、歴史の必然といえるのです。

時代が変われば美意識も変わります。どんな化粧も選べるからこそ、迷いがあるのは当たり前。今、あなたが迷っているのなら、これまでの化粧を見直す時期なのかもしれません。

 

昔を知って今を知る。キレイの歴史を知ることが、今の自分に何が必要なのかを考えるヒントになれば幸いです。

文/山村博美

PROFILE

山村博美(やまむら・ひろみ)

山村博美(やまむら・ひろみ)

化粧文化研究家

化粧品会社の研究所で、日本と欧米の化粧文化史、結髪史の研究に従事したのちフリーに。 2016年に『化粧の日本史―美意識の移りかわり』(吉川弘文館)を上梓。「文化としての化粧のおもしろさを、わかりやすく伝える」をモットーに、化粧文化全般をテーマにした企画に携わるほか、執筆、講演などの情報発信を行っている。 「化粧の日本史ブログ by Yamamura」:https://ameblo.jp/yamamura-kesho

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