なんのためにスキンケアをして、メイクをするの? 「キレイになるため!」。それなら、なんでキレイになりたいの? 「え!?」 そう思ったみなさんにおすすめの連載コラム。化粧文化研究家の山村博美さんが、キレイをあらゆる角度から紐解きます。
特権階級しか手にできなかった白い肌。白肌に憧れるのには理由があった!
紫外線の量が増える3月を前に、今年も美白コスメが続々と発売されています。「美白」は今やスキンケアの定番。雪のように白くキレイな肌は、女性にとって憧れです。
でも、なぜ私たちはこんなにも白い肌に魅かれるのでしょう?
その答えを歴史の中に探してみると、日本では、今から約1000年前の平安時代には、白い肌を美しいと考える美意識がありました。
昔の人々にとって肌の白さは、日に焼ける労働をしない高貴な身分の象徴で、同時に、当時は貴重な白粉を使うことができる豊かさのあかしでした。つまり、庶民には欲しくても手が届かないものだったのです。
そうしたイメージが白肌への憧れに結びついて、白い肌に価値を置く美意識が生まれたと考えられます。
江戸時代も高かった肌への意識。 白さに加えキメ、ツヤ、透明感が大切でした。
白肌の美意識は江戸時代も続いていて、肌の白さは美人の第一条件でした。しかも、ただ白いだけでなく、”白く透き通るようで、キメ細かくツヤのある肌”が理想! 日本女性は昔から美肌へのこだわりが強かったのです。
そこで大切なのが白粉化粧でした。意外と思われる方も多いでしょうが、当時は今と同じでナチュラルメイクが基本。白粉は薄く塗る方がよかったのです。その分、素肌の美しさが求められ、当時の美容書には、肌を白くするためのパックや洗顔料などのレシピが盛りだくさんでした。
江戸時代には、白粉の下地で、”キメや色ツヤをよくして色を白くする”「美白香(びはくこう)」というコスメもありました。内容成分がわからないのが残念ですが、コンセプトはまさに江戸時代の美白コスメと言えますね。
白肌になるためのレシピには、命に関わる怪しい薬も。美白の歴史は時に命懸け。
実は、江戸時代に庶民が使ったのは毒性のある鉛白粉。白粉のせいで貧血や神経麻痺になることがあったのです。明治時代以降も、猛毒のヒ素を飲んで白肌を目指したり、過酸化水素水(オキシドール)で肌を漂白するなどの過激な美白法もありました。正しい知識がなかったとはいえ、一昔前まで肌を白くするのは、場合によって命懸けでした。
長く続いた白肌志向でしたが、昭和40~50年代(1965~85)は、夏に海や山に出かけて日焼けをするのが健康的と言われ、いったんトーンダウンします。ところが昭和末期に、紫外線がシミ・ソバカスの原因になることがクローズアップされ、一転して「日焼けは肌によくない」と言われるように。
そして、平成になると空前の「美白」ブームが到来したのでした。
「美白有効成分」の開発がきっかけで市場が拡大。これからは美白プラスアルファの時代に!
ブームの先駆けになったのは、平成2年(1990)に発売された、資生堂の「ホワイテスエッセンス」。世界ではじめて「美白有効成分アルブチン」を配合したこの商品は大ヒット! 他社も次々と美白有効成分を開発して、‘90年代後半には、コギャルなど若い世代を巻き込んで、「美白」ブームが社会現象になったのでした。
数ある美白コスメの中から、自分に合う商品を探すのは悩みどころですが、おススメは常に新製品を試すこと! 美白コスメはどのメーカーも力を入れているだけに、研究開発は日々進歩しています。近年では、”美白+シワ改善”、”美白+保湿”など、プラスアルファの機能を訴求した商品が増えてきました。
美白コスメの発売はこれからが本番。いろんな新製品をチェックして、新しいお気に入りが見つかるといいですね!
文・写真提供/山村博美