IKKO美の格言~その参~「美容家・タレント 私の軌跡」
IKKO『人生、美の格言』と題して、令和二年元旦よりお届しているこちらの連載。今回は私の人生の軌跡をお話しいたします。
どんなに傷ついて苦しかったことも、すべてが私の人生の引き出し。
ふりかえると、私の人生の初期は絶望の淵に立っていたようなものでした。
自分は女の子ではない。男として生きなければいけないのに、それはできそうもない……。誰にも、私の心の内を理解してもらえない孤独と恐怖。けれども、あの時苦しんだこと、傷ついたこと、悔しかったこと、すべてが私の人生の引き出しとなっていると、思えるのです。
美意識の原風景は、母と姉。スチュワーデスに憧れて。
私の故郷は、九州の福岡県田川郡。母は小さな街で美容室を営んでいました。このことと、二人の姉の存在が、私の生き方の道標になったように思います。
母の美容室に来て髪をセットして帰る近所のおばさんやお姉さんたち。彼女たちが、来た時とは別人のように美しくなり、満足した笑顔で店を後にする姿を毎日見て育った私。物心つく前から、女性が美しく存在することの素晴らしさを、自然と身につけていたのでしょう。
二人の姉たちは、オシャレでおませさんでした。姉たちの影響で流行のファッションや美しいもの、きれいなものに心を奪われていた子ども時代を過ごしていました。
その延長にあったのが、「大きくなったら、スチュワーデスのなりたい」という夢。私は自分が女の子だと信じていたのですが、ある時、姉から「あんたは男の子だから、スチュワーデスにはなれないのよ」と宣告されたのです。目の前が真っ白になるくらいの衝撃を受けた私は、ここで初めて挫折というものを味わった気がします。自分は男の子なのだ、というまぎれもない事実。何をどう頑張っても変えることはできない。人生とは思うようにならないことがあると、幼心に刻まれました。
以来、自分の中の「性」と向き合うことができず、成長するにつれて私は自分の殻に閉じこもりがちの若者になりました。
そんななか、母の影響もあって美容師を志し、私のキャリアがスタートしたのです。
人生の転機。ヘアメイクアップアーティストから、美容家・タレントへ。
19歳、故郷の九州から横浜の高級美容室に弟子入りした私は、厳しい修業時代をそこで送ります。当時は今と違って、セクシュアル・マイノリティーであることを声高に宣言する時代ではありませんでした。だから私は自分の殻に閉じこもり、社会性のかけらもありませんでした。そんな私に「すべての物事には意味があって、臨機応変に対応し、結果を出すことが大切だ」と心を込めて教えてくれたのが、美容室の師匠の奥様でした。
不器用な私は多くの失敗をしながらも、人の何倍も努力し、お客さまの信頼を得て美容師としてのキャリアを固めました。やがて、多くの芸能界の方たちのヘアメイクを経て、30代でヘアメイクアップアーティストとして独立、経営者としてスタートを切りました。そして今、多くの導きやご縁があり、美容家・タレントとして活動しております。
ダメ運はチャンスなの!
仕事でもプライベートでも、運に見放されたと思うことや、失敗も多くありました。しかし、そのたびに「ダメ運はチャンス!」と自分を奮い立たせ、また有難いご縁でたくさんの恩人といえる方々と出会い、どんな困難も乗り越えることができています。
仕事や恋愛、プライベートが思うようにいかず、投げやりな気持ちになって誰かを恨んだり、もう誰も信用できない、愛せないと落ち込んでいる人もいるかもしれません。そんなあなたに一言。それって今ものすご~くツイているってことよ! アゲ運の気流に乗ってるのよ! だって、今落ちているのなら、あとは上昇していくだけ。人生って、あなたが考えているよりはるかにシンプルなの。人生平等にできているから、今が悪くてもいつか必ず良くなるものなのです。ダメ運をチャンスととらえて、しっかり休んで(落ち込んでいるときって、心も体も疲れているもの)、美味しいごはんを食べて、鏡の中の自分をとびきりの「イイ女」にしてあげてください❤
こうした時期を自分磨きタイムと捉えるか、落ちるところまで落ちて自堕落になるか。そうした選択が、あなたの人生を決めていくのです。
41歳、美容人生に訪れた転機。
先にもお話ししたように、ヘアメイクアップアーティストとして独立した私は、有難いことにたくさんのお仕事をいただき、多忙を極めるようになりました。一日5本の雑誌の撮影をこなし、事務所の経営もして。
そんな39歳の11月、私の体が悲鳴をあげ、ついに倒れてしまいました。医師からは根治には数年かかると言われ、過呼吸という病に苦しむことになったのです。この時私は「人生には思うようにいかないことがある」と、自分が男だと知った時と同じように、改めて実感しました。仕事は順調でした。それなのに今、私の運命の神様は「違う」と言って、私に病を与えたのです。
でも、このことがきっかけで私は仕事の形を変えることを決心しました。ただ、“美容”という世界からは離れたくはなかった。
そして41歳で新しい展開が訪れました。テレビの美容コーナーに出していただいたことがきっかけで、様々な番組にオファーをいただき、美容家・タレントとして踏み出したのです。
振り返ると、あの苦しかった体の不調があったからこそ、私は思うようにいかない人生に悩む人の心に寄り添うことができるのだと思います。美容というものをもっと大きく、健康や生き方という観点からとらえ、こうして多くの方に伝えることができているのではと。
流した涙をすべて受け止めた人だけが50歳を過ぎた時、深い人になれる。
人生とは、時に“おみこし”に乗っているような気がすることがあります。先にお話ししたように、私は幼いころから抱えていたコンプレックスがありました。それを乗り越えたとき、私の人生がそれまでと違う方向に動いた気がしています。
そう、まるで乗っていたおみこしがくるりと向きを変えて、これまで知らなかった場所に連れて行ってくれるような感覚。上京し、劣等感のかたまりだった私が、豪華な衣装を着てバラエティ番組に出たり、歌ったり、美容家としてコスメをプロデュースしたりしているのです。いちばん驚いているのは私自身かもしれません。
本当にたくさんの方たちとのご縁が、私をここまで連れてきてくれました。でも、人生というおみこしがあるとして、それに乗るか乗らないかを決めるのは自分。そしておみこしを担いでくれる人たちがあってこそ、行くべき場所に到達できるのですから、多くの人たち(おみこしは一人では担げません)が、自分を認め、私と一緒にいたいと思ってもらいたい。やはり、すべては、自分の人間力しだいなのでしょう。
流した涙を決して無駄にはしてきませんでした。
私は今年58歳になります。人生の折り返し地点を過ぎて思うことは、これまで流してきた数々の「涙」のこと。嬉し涙、悔し涙、感動の涙、別れの涙、もちろん、恋の涙、怒りの涙も。私は未だに不器用な人間です。正直に生きたいと願うほど、自分も周りも苦しくなることがありますが、流した涙を決して無駄にはしてこなかった。そこから意味を学び、私の人生の引き出しとし、その涙をすべて受け止めてきた自負はあります。
こうして時間を積み重ねてきた人は、50歳を過ぎたころ、目の奥が深い人になれる、そんな気がしています。
今日は私の半生から、「生き方」学のようなものをお話ししました。少し話しすぎちゃったかしら……。悩み、苦しんでいる人に、私の話が何かのお役に立てれば、嬉しいです。
次はなにをお話ししようかしら。こうご期待~❤
※IKKO美の格言~その四~は、1月22日更新予定です
※ご紹介した製品はすべてIKKOさんの私物です
撮影/宮﨑貢司 メイク/高場佑子 着付け/高橋惠子 ヘア/菊地好美 取材・文/三尋木志保