さっきから男性が店の前を行ったり来たりしているのが見える。
年齢は50代か。ダッフルコートを羽織っている。あまり大人の男性が選ぶアイテムとは思えないが、サイズ選びがうまいのか、よく似合っている。
危ない人ではなさそうだが、こう何度も行き来されると、嫌でも気になる。
店の前の道にはセンターラインもない。かつての街道であることは、一部の歴史好きしか知らないだろう。古くからの商店がしぶとく残っているが、パッと見、どこにでもある脇道だ。
そんな通りを、ゆっくりと視線を上げ下げしながら、男性は歩いた。店の窓枠から見えなくなったと思ったら、1分ほどでまたフレームインしてきた。
そんなことを繰り返しているうちに、とうとう男性が店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
どことなくわざとらしい言い方になったが、相手はそれどころではなさそうだった。店に入ってもなお、周囲を見回している。
「少しお尋ねしますが」と男性は切り出した。
落ち着いた低い声だった。
「こちらは喫茶店ですよね」
「はい。そうですが…」
朝9時開店。夕方6時閉店。日曜定休。全席禁煙。
「喫茶店に入って、喫茶店の場所を伺うのも失礼な話ですが、『一月館』というお店を探していまして。ご存知ありませんか?」
男性は済まなそうに言った。
私もなんとなく声を潜めた。
「あの『一月館』でしたら、うちですけれど…」
男性の動きが止まった。近くで見ると、セル巻きの繊細そうな眼鏡や、よく手入れされた革靴などが目をひいた。
眼鏡の奥からしばらく私を見たのち、
「こちらがあの『一月館』ですか?こんなに明るくて綺麗じゃないはずだけどなあ。いや、重ね重ね失礼」
と独り言のように呟いた。
やりとりを聞いていた先客の若者が、薄く笑った。
確かにかつての「一月館」は、まるで様子が違った。むやみに重厚なカウンターに、年季の入ったビロード張りの椅子。窓は今より小さく、昼でも薄暗かった。
コーヒーの香りとタバコの煙とが濃密に立ち込める店内。子供心に、父は本当は魔法使いなのではないかと疑っていたものだ。紫煙の向こうでコーヒーを淹れるその佇まいが、どこか魔術を思わせたのだった。
転機は10年前だった。
父は、日曜を除く毎朝、店の一角にある焙煎部屋で、自らコーヒー豆を煎った。70キロ入りの巨大な麻袋から生豆を取り出し、鈍く光る旧式の焙煎機で丁寧に煎った。
季節によって煎りを加減していたが、きっとそれは数値化できない勘の勝負だった。
豆に火が回ると、煙突からもうもうたる煙が立ち上った。狼煙さながらであった。しばらくの間、町全体をコーヒーの甘く芳しい香りが包むのだった。この町の名物として、近隣の人たちも受け入れてくれていた、はずだった。
そんな折、店の隣に新しく建ったマンションの住民から苦情が入った。
「窓が開けられません」「洗濯物が干せません」「みんながみんなコーヒー好きではありません」「これは一種の公害ですよ」
こちらにはこちらの、あちらにはあちらの言い分がある。これまで古馴染みとの阿吽の呼吸でやってこられたが、時代は変わる。
納得いかないのは父だ。マンション側とのやりとりはヒートアップし、もはや喧嘩寸前。それとの関連は定かでないが、父が心臓を悪くして入院。バイパス手術をすることになった。一時休業に乗じて、マンション側は焙煎ストップの実効化を謳ったのである。
父のテクニカルノックアウト負けだった。
術後の経過は良好だったものの、父は元気がなくなった。
「よそで煎った豆を仕入れるつもりはない。店は閉める」
と言い出した。
すると、常に父の後ろに控えているような母が、意外なことを言い出した。
「夏子。あなた継ぎなさい」と、いつになく力強い調子で言った。
当時35歳の私は、出産して1年と少し。契約社員だった私に育児休暇はなく、前職に戻れる可能性はほぼゼロ。かと言ってこのまま専業主婦になる考えもなく、いわば子連れの浪人のような境遇だった。だったら店を継ぐがよい。母の中では筋が通っていた。夫も応援してくれた。私は思いがけず家業を継ぐ羽目になった。
そんな経緯を、かつての「一月館」を知るらしき男性に話した。喫茶店というのはつくづく不思議な場所だ。名も知らぬ相手に、人生を明かすのだから。
「私が通っていたのはもう30年も前です。全ては変わっていきます」
男性はカウンターで静かな相槌を打ちながら、私が淹れたコーヒーを口に運んだ。そして全面改装の結果、すっかりクリーンなカフェ然となった店内を眺めた。
私は少し居心地が悪かった。きっとこの男性は落胆しているに違いない。
実際、この10年で客層はガラリと変わった。父の客はもう来ない。父の味を求めていた客にとって、娘手作りのシフォンケーキに用はない。
男性は「おいしいですよ。とっても」とコーヒーカップを掲げてみせたが、気を使ってくれたのかもしれない。
その後、男性はポケットを探るようなそぶりをしたが、すぐやめにした。そして「禁煙ですか?」と尋ねた。
「はい。そうなんです。すみません」
昔の客が離れたのは、コーヒーもさることながら、禁煙化の影響が大きい。父も「コーヒーとタバコは兄弟だぞ」と憤慨していた。
でも、私は譲らなかった。タバコ、だめでしょ、と。
若い人、特にコーヒーを好む人は、タバコを嫌う気がする。今はもう兄弟じゃなくなったのだ。
男性は不機嫌になるでもなく、穏やかな表情のままだった。
そして
「タバコといえば、昔マスターにこんな話を聞いてもらったことがあるんです」
と、語り始めた。
「私が大学を卒業する時の話です」
昔は今と違って、タバコを吸うのが当たり前でした。大学の構内にも喫煙所がそこかしこにあったものです。
私は群れるのが苦手で、講義の合間には、いつもひとりで決まった灰皿の前に立っていました。
学部の同学年に、素敵な女の子がいました。と言っても喋ったことすらありません。遠くから眺めるだけです。そもそも私にも恋人はいましたからね。でも、人間にはそういう気持ちってありますでしょう?
そして卒業式。私は相変わらず誰とも連れ立たず、大講堂の空いている席に適当に座りました。やがて隣に誰かが着席したので何気なく見てみると、例の素敵な彼女だったのです。とはいえ今さらどうにもなりません。式典は終わり、みんな大講堂の外で写真を撮ったり、胴上げしたり、盛り上がっていました。
私は学生最後の一服をしに、いつもの灰皿に向かいました。他学年は休みなので、講義棟の周りには誰もいません。
2本ほど立て続けに吸ったでしょうか。遠くに人影が見えました。まっすぐこちらに向かって歩いてきます。彼女でした。口元に笑みをたたえているように見えます。
私は鼓動が速くなるのを感じました。隣り合わせたのは偶然だとしても、これは違うだろう。はっきり姿がわかる距離まで近づいた彼女は、むき出しのタバコを1本、手に持っていました。私の知る限り、彼女はタバコを吸いません。
そして私の目の前まで来ると「火を貸してもらえませんか」と言いました。私は緊張しながらライターで火をつけました。
彼女はにっこりとして「さっきは隣でしたね。お互い卒業おめでとう」と言うと、一口も吸わないまま、灰皿の縁でもみ消しました。そしてそのまま行ってしまいました。
男性のひとり語りは、そこで止まった。静かな口調につい聞き入ってしまった。
「そのあとは、どうなったんですか?」待たれている気がしたので、問うた。
「それで終わりです。何もありません」
そうなのか。交際に発展しなかったのか。なぜかちょっと残念だ。
「その話をすぐマスターにしました。あの頃、なぜかマスターにだけは心を開いていたんです」
若き父の顔を思い浮かべる。客商売なのに愛想笑いをしなかった。今も昔も変わらない。でも不思議と人が寄ってきた。
「父は何か言っていましたか?恋愛相談なんか乗れると思えないけど」
「お前は煙に惚れたんだ、と言われました」
「どういうことでしょう?」
「タバコをつけるたびに麗しき思い出がよみがえるなんて、悪くないぞ、とも。おかげでタバコがやめられません」
この人は、今も律儀にタバコを吸って女性のことを思い出すのか。私だったら、即SNS検索だ。
男って、女のことを夢見がちだと言うけど、自分たちの方がよほどロマンチックだと気づいていない。
男性は「マスターによろしくお伝えください」と言い残し、店をあとにした。
今は路上でも簡単にタバコが吸えないことに、珍しく同情する。
男性の気配がまだ残る店内には、あるはずのない煙が立ち上っているような気がした。それはかつての常連客の息吹なのか、父が毎朝コーヒー豆を煎った名残なのか。
喫茶店というのはつくづく不思議な場所だ。できるだけ続けようと思った。
了
文/大澤慎吾