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MAKEUP】【COLUMN

2019.07.30

<きれいの舞台裏>ヘア&メイクアップアーティスト 山本浩未さん(前編)

山本浩未(やまもと・ひろみ)さん
ヘア&メイクアップアーティスト。「今すぐ実践できるメイクテクニック」を発信し、メイクのみならず、元気になるポジティブな美容理論が好評。明るい人柄が人気。講演や商品開発など幅広く活躍する。
山本浩未(やまもと・ひろみ)さん ヘア&メイクアップアーティスト。「今すぐ実践できるメイクテクニック」を発信し、メイクのみならず、元気になるポジティブな美容理論が好評。明るい人柄が人気。講演や商品開発など幅広く活躍する。

美のプロだからこそ知る、きれいの裏側を覗くべく、新連載がスタート。第1回に登場いただくのは大人気ヘア&メイクアップアーティストの山本浩未さんです。まわりの人をハッピーにする天才でもある浩未さんですが、これまで数え切れないほど落ち込むことがあったから、今の自分があるそう。

ヘア&メイクという道を選んだ理由から現場での忘れられない思い出など、前編では浩未さんのヘア&メイク人生をうかがいます。

なぜ、ヘア&メイクの道を選んだのですか?

「小さい頃からきれいなもの、美しいものが大好きだったんです。身近にあるきれいなものといえば、化粧品。母の化粧品を見たり触ったりするのが大好きで。

そんな中、中学2年生の時に母が『花椿』という資生堂のPR誌をもらってきたんですね。ページを開くと素敵な外国人のモデルさんが美しいヘア&メイクをして笑顔を浮かべていて……。見た瞬間、わぁと釘づけになったのを覚えています。そこにメイクスタッフとして日本人の方の名前が入っていて、え? 日本人でもこんな素敵なメイクができるの?って。私もこんな風にメイクをする仕事がしたい!と」

中学生の浩未少女は、メイクの仕事に思いを馳せるように?

「はい。でも、一体どうしたらヘア&メイクになれるのかわからなかったので、『花椿』に載っていた大竹さん(※日本を代表するヘア&メイクアップアーティストであり資生堂美容技術専門学校校長を務める大竹政義氏)に『大竹さんにみたいになるにはどうしたらいいですか?』と手紙を書いたんです。中学生の必死な思い、可愛いですよね。そうしたらお返事が来て、『高校を卒業したら美容の専門学校に入って学ぶといいよ』と。もう、心は決まりましたね。

高校時代は卒業したら美容学校に行くんだとワクワク。他の何かを探すこともなく、ひたすら一途に美容への想いをふくらませて過ごしていました」

高校卒業後、晴れてヘア&メイクの道に?

「高校卒業後は資生堂の美容学校に入り、卒業してからは資生堂のビューティクリエーション研究所に入りました。毎日メイクをして、コスメに触れて楽しくて仕方がなかったですね。同期や先輩、会社も大好きで幸せな日々でした」

順風満帆な美容人生のスタート! 悩んだことは?

「そうだったのですが……。美容に関われば関わるほど、私、美容が好きという熱意のほかにプラスαの奥行きというか、人としての厚みというか、自分には何もない!と思い込んでしまったんですね。

高校3年間、ヘア&メイクの道に進むと夢見て、他に何か打ち込んだりすることもなく過ごしてしまったので。熱意は人一倍あるのに自分の引き出しが少なくて空回り。こんなはずじゃなかった、もっと別の世界も見なくちゃいけないんだと自信をなくして落ち込んで……。28歳の時に会社をやめて、ヘア&メイクの仕事も完全にやめてしまったんです」

28歳でヘア&メイクの仕事を辞める⁉ その後は?

「何か見つけよう!と思って旅行したり、お稽古に通ったり、会社員時代はできなかったことをなんでもやってみようと思いました。でも、結局、他にやりたいことは見つからず、半年が過ぎたころ、『やっぱりメイクがしたい!』と思うようになって。あれこれ考え込んだり、こだわるのはもうやめよう。自分のできるメイクをすればいいじゃんって。落ち込むだけ落ち込んで吹っ切れたんでしょうね。そこからフリーの道へ進みました」

時代は美容ブームで専門誌も次々創刊。ヘア&メイクさんが注目され、さぞや忙しかったのでは?

「当時、『ハウツーメイクアップマガジン』というビューティ誌が創刊され、そこから美容人気がどんどん高まっていきました。当時、ヘア&メイクとして第一線で活躍されていた藤原美智子さんの仕事やプライベートが紹介されていて。すごく素敵でカッコよくて憧れの存在でしたね。

私自身も仕事に恵まれ、雑誌や広告の撮影、海外でのロケにも行かせてもらったり、バブルはもう終わっていたんですが、まだまだ元気な時代で、いろいろなお仕事をさせていただきました。唯一テレビやドラマのお仕事はご縁がなくてやることはなかったのですが、30代、40代の頃は本当にハードな毎日でした」

そんな中、メイク人生での最大のピンチがあったんですよね?

浩未さんのお仕事道具拝見。こちらはベースメイクとポイントメイク用のポーチ。常に使い勝手のいいポーチを探し、試しているそう。
浩未さんのお仕事道具拝見。こちらはベースメイクとポイントメイク用のポーチ。常に使い勝手のいいポーチを探し、試しているそう。

「実は恥ずかしくて人には言えないような失敗が3回あるんです。もうこの仕事を二度とできない、ヘア&メイク人生が終わりだと思ったことが……。

 

ひとつめは撮影日の勘違い。前日にそれがわかったので撮影をすっぽかすことにはならなかったけれど、もし、わかっていなかったらと思うとゾッとします。

ふたつめは本を出版した時、タレントさんの話を事務所に確認せずに書いてしまったこと。ものすごく怒られましたね。

そして3つめは、撮影の現場で楽しくて楽しくて、私がモデルさんに指示を出しすぎてしまったこと。有名なカメラマンさんが撮ってくださったんですが、すごく怒らせてしまい、現場はシーンと凍りついてしまって。まさに身の毛がよだつとはこのこと。現場を乱してしまって終わったな……と落ち込みました。メイクの技術というよりプロとしての意識が足りていなかった。今でも教訓です」

逆にピンチを乗り越えたことは?

「ある女優さんの広告撮影があったのですが、その女優さんが撮影前に事故に遭い、顔にケガをされてしまったんですね。事前に聞いていたので、当日慌てることはなかったのですが、現場のみんなでさあ、どうしようかと。

撮影するときの顔の角度、光の回し方をカメラマンさんが提案してくれ、それに合わせてメイクはどうするのが一番いいかを私が考えて、それなら衣装は? 背景の見え方は? とその場にいた全員がアイディアを出し合いました。結果、すごく素敵な写真が撮れたんです。

これは私が乗り越えたというより、チームの力です。チームのひとりとして今自分ができることは何かと考えた時に、私は女優さんの気持ちづくりに徹しました」

気持ちをつくる?

「そうです。撮影の現場で女優さんやタレントさんに最初に接するのが私たちヘア&メイクです。そして一緒にいる時間もいちばん長い。だから、申し訳ないと落ち込む女優さんの気持ちを、私が整えて上向きにしてあげなくちゃと、とにかく明るくなるよう話しかけて笑顔にさせて……。この経験は今も生きていますね。

常に感じていますが、心と顔は支え合うもの。どちらかがダメな時はもう一方が引き上げてあげるものです。メイクさせていただく方の気持ちをハッピーにすることが、私の最大の仕事と思っていつも現場に臨んでいます」

こちらも仕事で欠かせない、浩未さんの愛用化粧品の数々。上の写真はスキンケア、下はヘア用。その日の撮影内容に合わせてアイテムを入れ替えて現場に入ります。

浩未さんのメイクは変幻自在というか、その人に合わせて柔軟に変わる印象がありますが…?

「私、実は30代後半まで自分のことを『メイクアップアーティスト』と名乗れなかったんです。挨拶するときも『今日、メイクを担当する山本です』とか言って。資生堂時代に“クリエイティブなメイクをする人”が、アーティストと名乗っていいんだと思い込んでしまったんですよね。自分はナチュラルメイクしかできないからってずっと悶々としていました。

でも、ある時、知り合いのライターさんに『浩未さんのナチュラルメイク、すごく素敵ですよね。ナチュラルメイク、いいじゃないですか』と言ってもらえて。えっ?いいの?って。ナチュラルメイクでいいんだと、やっと思えるようになったんです。それがひとつの転機でした」

そこからパーソナルを生かすメイクに磨きをかけた?

「そう。それと30代の頃はすごくハードに仕事をしていたのでメンテナンスのためにマッサージによく通っていたんですね。先生は体を調整してくれるだけでなく、話をして言葉で心も整えてくれる方で、私の迷いもいつも支えてもらっていました。ふたりのおかげで少しずつ自信を持つことができて、恥ずかしくなく『メイクアップアーティストです』と言えるようになったんです。私、思い込みが強くてバカみたいでしょ? でも、当時の経験があるから、“心から整えてきれいにする”ことにこだわっているのかもしれません」

自身の代名詞としてその人の個性を生かすナチュラルメイクを確立した浩未さん。後編ではいよいよ浩未さん流のメイクの裏技、スキンケア法、お勧めのアイテムまでたっぷりとご紹介します!

撮影/国府田利光 取材・文/杉浦凛子

撮影協力/Caffice(カフィス)http://caffice.jp(外)新宿区新宿4-2-23 新四curumuビル2階