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Inner Care】【COLUMN

2019.09.17

塗りたくるのはNG。ごまかさずに、ていねいに。

みなさん、こんにちは。
大竹稽がお送りする「禅の美容室」。

今年は、冷夏から猛暑に、加えて牛歩台風と、なんだかもやもやする夏でしたね。みなさん、どんな夏を過ごされましたか?

さて、先月から、静岡県浜松市にあります龍雲寺のご住職、木宮和尚のお話を紹介しています。

前回は、木のせん定にたとえて、心のケアのお話をしました。

「木は伸び放題にしたら、形がバラバラになってしまいます。手入れをしないといけません。心も同じ。美しく整った心は、意識して、手入れし続けるしかありません」

気づく心と気づかない心。

「悪い方向へは、気づかないうちに伸びてしまうものなんです。放っておいたら悪い方向は自然と習慣になってしまいます。それは、わたしたち僧侶にも言えることです。人間の心というものは、楽な方、楽な方へと広がるものなのです」

ということは、つまり……。

一度、気づかないという習慣が始まってしまうと、その習慣にすら気づかなくなって、どんどん心は荒れ放題になっていく。

おお、ブルブル。

気づかないという習慣、おそろしいですね。

美しい心でありつづけるためのヒケツは、「気づく」にありそうです。

では、気づくようになるには、どうしたらよいのでしょう?

止めるという覚悟。

「悪い方向に伸びていることに、気づくきっかけがあることを、願うばかりです。人間は、悪い方向に伸びているときに人の話に耳を傾けることはしません。自分で、気づかない習慣にいる自分を、ぐっと立ち止まらせて反省させるようなきっかけが必要でしょう。それからは覚悟して、楽な方へ、悪い方へ広がろうとする心を整えていきましょう」

うぅむ。たしかに……。人間はなまじ「考える」ことができるため、悪い方向に心が伸びていることすら、弁解してしまいます。

「そんなことする余裕がない」とか、「もっとやらなきゃいけないことがある」とか、「しかたがない」とか……。

そのような弁解が習慣になっているとすると……?弁解に弁解を重ねることになるんですね。で、ほったらかしを隠すために、さらに弁解で塗りたくることになってしまう。

ああ……。そうなると、そんな弁解すら通じない崖っぷちな状況に追い込まれてしまうんです。そんな状況が、悪い習慣にいる人を目覚めさせるのでしょう。

が、どうも、そんな危機的状況は望ましくありません。もうちょっと手前で、いや、もっと安全なところで生きていたいものです。

そのあたりどうでしょう?

ていねいに生きる。

「あなたは今日、朝ごはんのときに、『いただきます』『ごちそうさま』を言いましたか?もちろん、一人暮らしでも、同じことです。そして、朝ごはんを食べた机をふいてきましたか?食器を洗ってきましたか?それができていればいいんですよ」

ほったらかしにする。それが悪い心の始まりなんでしょう。

以前はわたしも、時間がないからと自己弁護して、後片付けを先のばしにしていました。いったん先のばしにすると、台所はどんどんきたなくなっていきます。

「いただきます」も、一人暮らしを始めてから長いこと、言わないままでした。

「ていねいに日々を生きましょう。それが大事です。スーパーの店員さんや、レストランの店員さんたちに『ありがとう』と言えていますか?それは、ていねいに生きている証拠なのです。うつくしく整えられた心は、ていねいな生き方に現れます。玄関。スリッパや靴が何足も出しっぱなしになっていませんか?脱ぎ散らかされているのは、言語道断です」

仕事だって、ていねいが大事ですよね。やっつけ仕事をしたり、いつも慌てていてテキトーにしかできない人間は、信用されません。

恋愛だって、ていねいが大事。服装だって、慣れてくるとテキトーになってしまいかねません。

ていねいな生き方は、日常のどんなシーンにも現れるということでしょう。

そんな木宮和尚、『恋に効く、仏教』を連載されています。

そちらもどうぞ、ご覧ください。

文・写真/大竹稽(思想家、教育家)