COSME DE NET

FOLLOW US

  • .&cosme
  • .&cosme
  • .&cosme

COLUMN

2019.11.11

母の浮き沈みのない性格のせいか、その存在をさほど気にせずに生きてきた。いなくなると却って気になり始めた。(第2話)

母のものと思われるインスタは5日ほど前から始まっている。母が旅に出た頃と一致する。

私は実名がわからないように、新しいアカウントを作った。

これで私がフォローしても、母は気付かないはずだ。

それにしても、猫は全然好きじゃないと言っておきながら、猫の名前を連ねてユーザー名にするとは、母も意外とややこしいところがある。

「知らない道を運転するのは、いつ以来でしょうか。

 女満別空港で借りたレンタカーで、サロマ湖を右に見ながら走ります。

 出発の朝、目に入った蜂蜜のラベル。そこに書いてある住所を見たとき、今から行こうと思ったのです。蜂蜜の瓶を一本握りしめたまま持ってきてしまいました。

 遠軽町はアイヌの言葉で“見張り”を意味するそうです。その名の通り、町の中心部に巨大な岩の塊がそびえています。そこから見張りをしたのでしょう。

 この岩を眺めながら、山の方に向かった先に桑田養蜂場はありました。白い犬が入り口の見張りをしています。でもとても眠そうなので、あまり役には立っていないかもしれません。聞けば、北海道犬の15歳。もうおじいちゃんです」

「慰霊碑が立っているのです。聞けば、昔は屠殺場だったそうです。

 今は命を奪わない場所なんだよ、と桑田さんは言います。蜂蜜作りはハチを殺しません。

 向かい(と言っても歩くと30分くらいかかります)には、昔でいう教護院があります。時々、そこから逃げ出した少年が匿(かくま)ってほしいと言ってくるそうです。そんな時、桑田さんは話を聞いてあげるそうです。喋るだけ喋ると、多くの少年はすっきりした顔で帰っていきます。でも中には脱走を続ける子もいるそうです。群れからはぐれるのも悪くないと、桑田さんは笑います。

 シンとしているのに、濃いです。私の知らなかった北海道」

くたびれたような犬の写真や、葉っぱを落とした雑木林の写真に、言葉が添えられている。

母が書いた文章を、読んだことなどあっただろうか。こんな感じなんだと初めて知った。なんだか別人のようでもある。でも確かに母の息遣いも感じるのだ。

それにしても、母はなぜわざわざ北海道まで行ったのだろう。女満別空港ってどこ?読み方がわからなかったので調べた。

弟にこのインスタを教えてやるべきだろうか。

まだ早い。さしたる確証もないが、私はそう思った。

母が不在で困るのは、早起きを強いられることだ。あれやこれや、いちいち自分でやらなければいけない。

母との関係は良好だったと、自分では思っている。何も私を困らせようと、いなくなったわけではないはずだ。

友人たちが母親との関係に悩む話はよく聞く。

うちの場合、母の浮き沈みのない性格のせいか、良くも悪くもその存在をさほど気にせずに生きてきた。いなくなると却って気になり始めた。

寂しいのは確かだが、心細いわけではない。

私の知らない母に、私はまだ追いつけないのだ。

 

通った大学に就職したので、学生の頃と同じルートで出勤する。

自宅のある世田谷の梅ヶ丘から、小田急線と井の頭線を乗り継いで1時間近くかかる。

卒業して4年近くが経った。学生たちは若い。肌ツヤがどうとか、服装がこうとかではなく、何者でもないことをまだ恐れていない眩しさがある。そこが若い。

私は社会人になったが、何者でもない。そしてそのことに少し怯え始めている。人はそうやって年を取っていくのか。

大学3年生から付き合っていた同い年の彼とは、就職2年目の夏に別れた。彼の初任地が大阪で、会える時間が減ったのが原因なのだろう。すれ違いってよく言うけれど、気付いた時にはもうすれ違っているから、防ぎようがない。

それからしばらくは無風が続いている。別に男性が苦手なつもりはない。ご縁のものなので、焦っても仕方ない。みたいなスタンスだ。

母は今の私の歳で、3歳の娘を育てていた。そしてお腹には弟がいた。これには、びっくりするほかない。

11時半頃から昼休みに入る。私のいる部署は、教職課程の学生をサポートする役目を担っている。教育実習の受け入れ先とのパイプが重要なので、割合ベテランの職員が多い。世間話の話題は基本噛み合わない。でもそれはそれで気楽だ。休み時間にひとりでいても、不自然ではない。

ついmonaka_gomaのインスタを気にしてしまう。新たな投稿はなかった。まんまとフォロワーだ。

帰り道に、夕飯の材料を買った。日が沈むと寒い時期になってきたので、鍋にする。北海道はもっと寒いんだろうな。あったかい服持って行ったのかな。

家には弟がいた。夜の外出の多い彼にしては珍しい。リビングのソファーに膝を立てて座っている。テレビではニュースをやっているが、見ている様子はない。覇気のない目でスマホをいじっている。

母がいなくなってから、シュンとしていることが多くなった。そういうタイプだったとは、長い付き合いだけど知らなかった。

「ご飯食べてないよね?」

「うん。作ってくれんの」

「鍋にしようと思って」

「鍋かあ」

「何、ダメ?」

「ダメじゃないけどさあ、鍋ってあれ、料理?」

腹が立った。文句があるなら自分でなんでも作ればいい。それか駅前で何か食べてくればいい。

白菜をザクザク切りながら、あいつにはママの居所は教えてやらない、と思った。結局、弟はシメのうどんまでしっかり食べた。

寝る前に、インスタをチェックした。

一面の枯れ草の上に、木箱がいくつも並んでいる。どれも年季が入っている。

 

「花がなくなると、ミツバチは巣箱で過ごします。

 明日はいよいよ巣箱の積み込みです。鹿児島から桑田さんの仲間がやってきました。

 ミツバチたちはこの後、九州へと移動します。自分たちの旅を知っているのでしょうか。私は自分の旅の行方を知りません」

次の写真に移動して私は言葉を失った。そこに写っていたのは海野くんにそっくりな男性だった。短髪だったり日焼けしていたり、イメージが異なるものの、面立ちが別人とは思えないほど似ている。

海野くんは私が2年前に別れた彼である。私は彼が蜂蜜を好きだったかどうか思い出そうとした。でも、まったく思い出せなかった。

文/大澤慎吾 撮影/吹田ちひろ