なんのためにスキンケアをして、メイクをするの? 「キレイになるため!」。それなら、なんでキレイになりたいの? 「え!?」 そう思ったみなさんにおすすめの連載コラム。化粧文化研究家の山村博美さんが、キレイをあらゆる角度から紐解きます。
ミレニアムとともにやってきた平成の「目力」ブーム、覚えてますか?
「目は大きい方がいい」というのは、今ではあたりまえの美意識です。平成でそれが顕著になったのが2000年代! 目元を強調した「目力」メイクがブームになりました。
アイコンは浜崎あゆみ! 彼女のような大きな目を目標に、定番のアイシャドウやアイライナー、マスカラに加え、つけまつ毛やカラコンなどを駆使して、とにかくデカ目にするのが当時の流行。
現在30代後半から40代のみなさんは、メイクに興味深々の十代から二十代に、この「目力」ブームの影響をばっちり受けた世代ですよね!
今はパッチリ二重が理想だけど、昔は大きな目はむしろ不美人だった!
でも、キレイの歴史を振り返ると、意外な事実が明らかに!
実は「目が大きいのが美人」になったのは明治時代以降。それまでは「大きすぎると見苦しい」と思われていたのです。そもそも江戸時代には、アイメイク専用の化粧品なんてありませんでした。
上の写真は浮世絵の顔のアップ! 浮世絵美人全般に言えますが、顔の大きさに対して目が小さいと思いませんか? この絵にはまつ毛も描き込まれていますが、よく見ると毛は上下とも内側に向いています。そう、現代のように外側にカールして大きく見せようという発想がなかったのです。
それどころか、江戸時代を代表する美容書の『都風俗化粧伝』には、大きすぎる目を小さく見せるハウツーが紹介されていたから驚きです!
大きな目を小さく見せるテクニックは、いつも○○○がちでいること!?
その方法とは「目八分(めはちぶん)」という視線のマジック! 外出時やハレの場では、立っている時に足元から約1.8m先を、座っている時は膝より約90㎝先を見下ろすと、視線が伏し目がちになるので目が細く見えるというもの。理屈はそうかもしれませんが、ずっと伏し目では正面がまともに見られません。ムリです!!
では、江戸時代にはどんな目が理想だったのでしょう? 『本朝人相考』という人相学の本の「美人の相」を見てみると、目について「細長く」「内(うち)に光がある」とあり!
細長い目がいいということは、お雛さまのような切れ長の目が美人で、タレントのローラさんのようなパッチリ二重は不美人に分類されたのでしょうね。
「りんとした強さのある目」は江戸時代の「目力」。時代を超えたキレイの要素です!
それだけでなく、「目八分」を紹介した『都風俗化粧伝』には「目は顔の中央にあって顔を引き立てる第一のものなので、りんと強きがよし」と記されていました。
「りんとした強さのある目」とは、まなざしの強さを表わす言葉! きりりとして意志を持った女性が思い浮かびます。『本朝人相考』の「内に光がある目」も同じで、どちらもズバリ江戸時代の「目力」といえるでしょう。
目は心を映す鏡。江戸時代の人々は目の大きさやメイクだけでなく、まなざしに表れる内面も、美しさの大切な要素と考えていたのです。
それって、現代も共通するキレイの本質だと思いませんか? 空前の「目力」ブームから約20年。積み重ねた経験や自信は、まなざしに表れます。今のみなさんは、昔とはひと味違う大人の「目力」メイクがきっとできるはずです!
文/山村博美