私の母は、50歳を目前にしたある日、
「これまでの自分を捨て、明日から徹底的に自由に生きる」と宣言した。
それを聞いていたのは、私と弟。それぞれ26歳と22歳。
他には2匹の猫。
父は海外に単身赴任中で、年に数回しか顔を見ない。
「文化の日」の昼だった。11月3日は「晴れの特異日」といわれる。日本国内において毎年極めて高い確率で晴天になると、気象学的に認められているらしい。その年も、見事な快晴だった。
母の決意表明が、あえてこの日を選んでなされたものなのか、今となってはわからない。それでも澄み渡った空と、いつになく大きな母の声との組合せは、妙な迫力があった。
私も弟もしばらく無言であった。どちらかと言うと控えめな母が、おかしなことを言い出したのだから無理もない。
私は夕方から、友人と会う予定だった。それまでは家でだらだらしようと思っていたのに、風向きが変わってきた。
「自由にって、何すんの?」弟が聞いた。
「旅に出ます」
「旅?一人で?」
「一人よ」
「何日くらい?」
「そうねえ。長ければ長いほどいいよね」
旅と聞いて私がまず思ったのは、「猫どうすんのよ」だった。
2匹の猫は、元々弟がうちに連れてきた。大学に入学して1週間で同級生の彼女を作った弟は、あっという間に家に帰ってこなくなった。うちから通った方が近いのに、彼女の一人暮らし先に入り浸ったのだ。
そこに子猫がいた。黒いのが「ゴマ」で、薄茶が「モナカ」。大学生の一人暮らしで猫が飼えるとはなかなかだが、性格もなかなかだったらしい。奔放な弟より、彼女はさらに上手だった。当時3年生の、学内でも有名なモテ男にあっさり乗り換えたのだ。で、このモテ男が重度の猫アレルギーだったので、彼女は弟に猫を託した。「圭くんにはすっごく懐いてたよね」
こうして弟は猫連れで我が家に帰ってきた。かと言って落ち着きのない弟が世話をするわけもなく、自然と母が猫の面倒を見るようになった。猫たちも「すっごく懐いてた」はずの弟には目もくれず、母に心を許していた。
だから、
「私はもともと、猫は大嫌いなの」
と母が言い切ったのを聞いて、ちょっと震えた。嫌いだなんて、とてもそんな風に見えなかったからだ。
「こんなに可愛がってるのに?」
「義務感よ。本来は圭が飼い主なんだから、これからはよろしくね」
「俺、飼い主なのかなあ。押し付けられただけだよ」
「今さら何言ってんの」
母はPTAの委員とか自治会の役員とかをいつも引き受けていた。そんなもんかと思って気にも留めなかったが、義務感が人一倍強かったのだろうか。
「とにかく、明日から私のことは一切あてにしないように。連絡は必要があればこちらからします」
私は都内の女子大を卒業した後、その大学の事務室に職を得ていた。我ながら冒険心に欠ける進路である。
弟は昔から成績優秀で、足が速く、顔もまあまあよかった。大学4年生で、翌春からの就職が決まっていた。残りの学生生活、彼女(いったい何人目か)と楽しくやっているようだ。
確かに母に頼らなくとも、一応は生活できる。でもそんな考え、今まで浮かんだこともなかった。
その夜、友人と会うには会ったが、どうにも調子が出なかった。母の自由宣言が頭から離れない。お酒も普段より早めに切り上げた。胸騒ぎを忘れようと、さっさと眠った。
翌日は振替休日だった。早めに就寝したせいで、朝6時に目が覚めてしまった。休みだというのにもったいない。
生まれてこのかた実家暮らし。年を経るごとに、それ相応にバージョンアップしているつもりだが、「子供部屋」には違いない。本棚なんて小学生の頃から同じものを使っている。
天井には無数の星が散りばめられている。夜、うっすらと光る。幼き日の私がリクエストしたのだ。張り替えたいくらいだが、結構な手間がかかるだろうからそのままだ。
星柄天井を眺めながら、二度寝のタイミングを計っていると、階下から物音がする。早くも誰かが起きているらしい。
弟が起きるはずはないので、母だ。なんだかんだ言って結局家事をしているようだ。少し拍子抜けしつつ、様子を見に行った。
すると、キッチンで慌ただしく動く母の姿があった。朝食の準備にしては、食材数が多い。よく見ると、私や弟の好きな常備菜を大量に作っている。
「あら起きたの。早いわね」
私に気づいた母が、快活に言った。
「ママ、これって…」
「最後のご奉公ね。食べ切る前に、味見しながらあなたも作ってみなさい」
決意は変わっていないらしい。
「本当に旅に出るの?」
「そうよ」
「本当の本当に?」
「本当よ」
「どこに?」
「そこなのよねえ。どこに行くか、まだ決めてないの。でも、それがすごいでしょ。今晩どこで寝るか、まだわからないのよ!」
母はかつてないほどウキウキしていた。異変を察知したのか、足元でモナカがニャッと鋭く鳴いた。
午前10時。いつの間に用意していたのか、母はスーツケースを玄関におろした。
タクシーを呼んで、と言われたので東京無線に電話をした。空車はすぐ見つかった。自動音声が「5分で参ります。電話を切ってお待ちください」と言っている。5分と聞いた途端、いきなり心細くなってきた。本当に行くんだこの人。
「気をつけてね。行き先決まったら連絡入れてよ。やけに親切な人には気をつけてね。あとは、変な崖とかに近づかないように」
「大丈夫よ。大人なんだから」
弟はまだ眠っているのか、自分の部屋から出てこない。薄情者め。
家の前に車が停まったような音がする。
「じゃあ。よろしくね。行ってきます」
母は爽やかに玄関を開けた。
愛想のいい運転手がキビキビとスーツケースをトランクにしまう。あれこれ口を挟む間も無く、母は一人旅に出た。
小さくなるブレーキ灯を見ながら、ところであのタクシーはどこに向かっているのだろうと思った。
3日経った。
私の詮索には「心配しないで。元気よ」と短い返信があるのみ。
立派な大人だ。体調不安も特にない。それでも気を揉んでしまう。母は多少世間知らずなところがある。
弟は私よりもっと心配そうだった。
母が出発した日にも「本当に何も言ってなかったの俺のこと」としつこかった。
自分への惜別の言葉がなかったことに納得がいかないらしい。だったらちゃんと起きて見送ればよかったのに、面倒くさいやつだ。
弟は高校生の頃、少し悪ぶっていた。坊ちゃんが集まるような進学校の不良なので、たかが知れているのだけれど、本人はその気だった。
友達の家に泊まって、しばらく帰ってこないようなことがよくあった。その度に、母をヤキモキさせた。まさかそのしっぺ返しがあるとは思わなかっただろう。
本当にかわいそうなのは猫たちだ。特に甘えん坊のモナカは、母がどこかに隠れているのではないかと家中を探し回っている。一部屋一部屋ドアの前で、ここを開けろとばかりに鳴き声を上げた。どの部屋にもいないとわかると、今度はクローゼットや、廊下の収納、キッチンのシンクの下まで開けるよう指示してきた。胸が痛んだ。
母が不在となると、私たち姉弟がこの家で過ごす意味がよくわからなくなってきた。私が台所で食事を作って、弟に食べさせる必然性はない。私だって忙しい。
外食が増えた。洗濯物がたまった。歯磨き粉が切れた。ゴミ出しを忘れた。
1週間が経った。休日は掃除と洗濯にあてるしかなかった。
夕方までかかって、一応の区切りをつけた。ベッドに寝転がって、インスタをチェックした。もはやルーティンになっている。お決まりのフォロー先を流し見して、スマホを置いたが、何かが引っかかった。おすすめの欄に出ていた見知らぬユーザー名だ。もう一度スマホを手にとって確認してみた。
そこにはmonaka_gomaとあった。モナカ、ゴマってうちの猫と一緒だ。弟を振った女がつけた名前だが、そのまま呼び続けてきた。
プロフィール写真はない。試しに開いてみた。
すると、何枚かの写真がアップされていた。特別美しい風景とはいえない。むしろ荒涼とした感じの草っぱらが広がっている。
「いつも使っている蜂蜜。そのふるさとを求めて、北海道までやってきました。養蜂場の敷地はとても広いです。花畑を想像していましたが、ずいぶん違いました。ミツバチは暖かいところで越冬するので、もうすぐトラックに乗せて鹿児島に移動するそうです。知りませんでした。
養蜂家の桑田さんと仲良くなり、お寿司をご馳走になりました。桑田さんはとても耳がよく、蟻の足音まで聞こえるそうです」
私は1階に駆け下り、キッチンの棚を探った。コーヒーや紅茶、スパイス類に並んで、蜂蜜の瓶があったはず。母は蜂蜜を好んで使う。私は少し苦手だ。
花のイラストが描かれたラベルが目に入った。アカシア蜂蜜とある。これだ。そこには「桑田養蜂場」と印字されていた。
再びインスタ。蜂蜜の瓶の写真。
「今年とれた蜂蜜をいただきました。菩提樹です。香りが濃いそうです。しばらく桑田さんのところでお世話になることにしました。乞うご期待!」
瓶を持つ指が写り込んでいる。親指の爪の形が母に似ている。
桑田養蜂場を訪ねたmonaka_goma。たどたどしいキャプション。母の気配が濃厚だ。しかしあの人がインスタなんて。
養蜂家の桑田さんは人の良さそうなおじさんだった。蟻の足音を聞き取れる繊細さは写真からは伺えなかった。お世話になるってどういうことだ。乞うご期待って、何を。
私はmonaka_gomaをフォローすることにした。
文/大澤慎吾 撮影/吹田ちひろ